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日本語は「移動を厭う」言語、英語は余り「移動を厭わない」言語/ 言語も重力の影響を受ける筈である/ 国会議員がこんな言語だけをいつまでも話していて良い筈ないんだよ、譬え松下生計塾卒園生にしても!日本の国会(戦前は帝国議会)は日本の、世界の諸悪の根源! [理論言語学]

♪ はぁ~~るばる 来たぜ はぁ~こだてえ~~~ ♪

♪ さぁ~~かまく 波を のぉ~りこえてえ~~~ ♪

日本語は単語の頭でも、途中でも、最後にも、音節ごとに母音が欠かせない言語。

とくに、単語の最後の母音を際限なく伸ばして、その母音の音韻を楽しむ(母音の音韻に「痺れ」て、「意味合い(理性・悟性)」よりも、「感情・情緒」に訴える)言語です

大切な国民の命を救うために、戦前の御前会議で、涙は出ても結論が出なかったのも、このためです。

英語も最後の母音を伸ばす(日本の演歌ほどに伸ばさない)が、大体子音で止める(日本人にはその子音が聞こえない場合がある)。

♪ MY RIFLE MY PONY AND ME: : ♪

The sun is sinking in the we::st

The cattle go down to the strea:m 

The redwing settles in the ne::st

It's time for a cowboy to drea:m

---  ---  ---

:母音であえて息を延ばす  :子音で息を止める) 

そこで、さらに理論を展開させると、

母音は、唇を衝いて、勢い良く口蓋口外に出て行く、暖かい空気の量である。

これは、暖かいと言うことはエネルギーを持っていることである。

エネルギーいうものは、アインシュタインの「エネルギー保存の法則 E=mc2(乗)」に拠って、質量でもあるから、

日本語の方が、或る程度母音の音韻から決別した英語よりも、ずっと重力(地球からの引力、ということは「地表からの引力」ということ)の影響を、受けているはずである。

日本語は話された後も地球の引力(重力)の影響を受けその場所に居残ろうとし、その人間もその言語を中心とした行動を取る筈である。

英語は余韻としていつまでも続く母音を思い切って振り切ることの多い言語であるから、日本語のような「開音節言語」ほど地球の引力(重力)の影響を受けることがなく、その話し手である人間とともに移動しやすい言語の筈である。

たった百名ほどでメイフラワー号で新大陸に渡った英語が北米大陸だけでなく、いま全世界のみならず、率先して宇宙にまで広がりつつあるのも、このためであると思われる。

このことが、英語系の言語を話す民族を、「移動」を日本人ほど厭わない民族にしていると思う。

ヨーロッパの、日本より小さい国が、海洋民族といわれる所以である。

日本語は、同じ場所で定着、凝集していく民族を、造る言語である。

日本語は、引っ込み思案、ひきこもり、世界を間違え、自*症気質の、情報と知識は殆ど官僚から得る井の中の蛙的で、おんぶにだっこにぶらさがりの代議士たちを作る、言語の筈である。

♪ かぁ~けぇ~たぁ~ ♪ 

♪ 命ぃ~を~ 哂わば 哂え~~ ♪

♪ 生ぅ~まぁ~れ~ なにわぁ~の 八百八ばしぃ~~ ♪

♪ つぅ~きぃ~もぉ~ 知ってるぅ~ おいらぁ~の 意気じぃ~ ♪

▼西洋水産(株)新製品・新製品候補ラインアップ 

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①カップヌードル「海江田」(魚介風味) ②カップヌードル「小沢」(かくし味

 ③インスタントラーメン「野田」(どじょう身入り魚介絞醤油味)・(松下生計塾特製熟成たれ付)

④カップヌードル「馬渕」(桜肉入り) ⑤カップヌードル「「鹿野」(鹿肉入り

 ⑥カップヌードル「樽床」(知床こんぶだし)・(松下生計塾特製熟成たれ付)

⑦インスタント・焼きそば「前原誠司」(からしマヨビームタイプ)・(松下生計塾特製熟成たれ付) 

§ 日本の「親政法経(しんせいほうけい)たち/ (shin-sei-hou-kei)

90代(通算第57代)日本国内閣総理大臣・安倍晋三 (在任期間2006.9.26 - 2007.9.26/ 在任日数366日[365+1])

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▲ 父君・故安倍晋太郎氏(外務大臣・当時)

▼ 第91代(通算第58代)日本国内閣総理大臣・福田康夫・自由民主党(在任期間2007.9.26 - 2008.9.24/365日[365-1+1])/

私はあなたと違うんです!宰相」Prime Minister of "I'm different from you!"/ 勝手に辞職するときの記者会見の発言。これって民主主義に通じる言葉かなぁ。国民と共に歩く/歩むという考えがこれっぽちもないということではないでしょうか。

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▲ 第67代(通算第42代)日本国総理大臣 福田赳夫 (在任期間1976.12.24-1978.12.7) 

▼ 第92代(通算第59代)日本国内閣総理大臣・麻生太郎(在任期間2008.9.24 -2009.9.14/ 356日[365-9])/ 表立って米国の大統領と肩を並べて写真を取れない首相の一人、理由は自民党の都合で(例えば前任者が自分の都合で総理の座を放擲した場合など)選ばれた首相は、正統

な国家元首と見てないからである

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▼ 第48-51代(通算第32代)日本国内閣総理大臣・吉田 茂(在任期間1946.5.22-1947.5.24/ 1948.10.15-1954.12.10)

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▼ 第93代(通算第60代)日本国内閣総理大臣 鳩山由紀夫 (在任期間2009.9.16- 2010.6.8/ 275日[30+31+30+31+31+29+31+30+31+1=275])

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▼ 第52-54代(通算第35代)日本国内閣総理大臣 鳩山一郎 (在任期間1954.12.10- 1956.12.23)

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▲ 鳩山威一郎(父・外務大臣経験)・一郎(祖父)・由紀夫氏

【第94代(通算第61代)日本国内閣総理大臣 菅 直人 (在任期間2010.6.8 - 2011.8.29/ 448日[23+31+31+30+31+30+31+31+28+31+30+31+30+31+29= 448)]

【第95代(通算第62代)日本国内閣総理大臣 野田 佳彦 (在任期間2011.8.29- )

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▲妙高高原/ Myoko Kogen Highland

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MyBlogRelatedPageいまでも開音節言語の日本語はそもそも即自存在・Being-in-itself・先史人用の言語であり、すでに閉音節言語の英語・中国語は対自存在・Being-for-itself・有史人用の言語である客観的証拠(簡潔で美しい現象)を見つけた!(2014年2月追加)


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新説/ 言語と地震の関係はあると思う/ 唯一世界で開音節言語だけをいまだに話している日本の国が世界一の地震多発地帯の四つのプレートの上にあるのは理由がある/ 震災記念日にあたって [理論言語学]

日本語は、一部の例外を除いて各音節が必ず母音で終る開音節言語で、日本の歌謡に見られるように、単語の最後の母音とか、あるいは文節の最後の母音をものすごく長く伸ばしたりして、その音韻、余韻を楽しむ言語である。

英語を例えに出し申し訳ないが、現代の英文では単語の最後に子音で終るケースが非常に多い。

子音で終わるということは、母音言語との決別であるとも云えそうだ。であるから、英語の歌謡では、母音をう~んと伸ばして、その余韻を楽しむ場合が、非常に日本の場合よりずっと少ないように思われる。

母音との決別であるから、その欠落した母音の分だけ、意味合いの強い単語(言葉)となる筈である。英語の全ての言葉(単語)に意味があるのは、この為である。

母音は必ずエネルギーを持った息が口から出る。母音を長く伸ばせばそれだけエネルギーを多く含み、地球からの「引力(重力)」の影響を、強く受ける筈である。

そこへ行くと、英語は子音で終るケースが非常に多い。英語は、完全ではないが母音の「余韻」から決別した言葉であり、その分「意味合い」に重点を置いた言語ということが出来そうである。

子音にはほとんどエネルギーがない。英語は、日本語よりとずっと重力の影響を受けない言語であることが分かる。

英国が海洋民族といわれ、日本人のほど移動を厭わない民族であるのも、この為であると思われる。

閉音節言語を話している民族は、新しい土地へ移住することを、日本人ほど厭わない傾向がある。

閉音節言語を喋る日本人は、同じところに定住する傾向が強い。

大陸は、人類の発展段階として、獰猛な動物に打ち勝ち、他の種族にも打ち勝つ為にも、知恵を絞り、開音節言語言語もより語彙の豊富な言語、閉音節言語に移行して行く必要があった。

ところが、封鎖されたオーストラリア大陸やニュージーランドでは、獰猛な哺乳類がいなかった為、独特の生態系発達してきた。白人が入植するまで、アボリジニとかマオリとかカメハメハは開音節言語を喋っていた。

日本の国は、閉音節言語だけを話している限り、外国人が日本人ほど移動を厭わない関係で、相対的に地震の多い日本列島との関係を、「ますます深めて行く*」ことになる筈である。

* 先史時代に向いた開音節言語ではもう限界が来ており、巨大地震が起こり、安全神話に胡坐をかいたり、また気が緩んだりして人災として、福島第一原発の事故よりさらに大きい事故に遭遇するということ。

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MyBlogRelatedPage: 日本語はそもそも即自存在・Being-in-itself・先史人用の言語であり、英語・中国語は対自存在・Being-for-itself用の言語である客観的証拠(簡潔で美しい現象)を見つけた! (2014年3月追加)

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▲Myoko Kogen Highland


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日本語は「意味」よりも「音韻」に重点を置く言語、英語・中国語は「音韻」よりも「意味」に重点を置く言語です/ 〔第一章〕人類の言語は開音節言語から閉音節言語へと移行して行くのです [理論言語学]

だから、英語の単語には意味のない言葉はなく、中国語の漢字にも「而」を除いて全てに意味があるのです*

日本語の格助詞「は(わ)」、「で」、「に」、「を」には、「響き」があっても「それ自体には「意味」がありません。

日本語の助詞に役割がよく似ている英語の品詞に「前置詞」がありますが、「at」とか「on」などにも「意味」があります。

「a」にも、「一つの」と言う意味があります。

一番自然な日本文は、各文節の最後の音韻が、「あえいおう」の順序で並ぶのです。「う」は動詞の現在形です。

この「あえいおう」の順序は、声楽で習う「ta te ti toe too」と同じで、この順序で口から吐く息のエネルギーが小さくなっていくのです。

類人猿くんは、このことを「日本語におけるエネルギー逓減の法則」、「開音節言語におけるエネルギー逓減の法則」と言っています。

人類の言語は、最初は「意味」のない「響き」から始まって、少しずつ意味をもった言葉の割合が多くなって行き、今の英語単語や中国語の漢字のように、全ての言葉(単語/ Word、漢字の組合せ)に意味があるようになったと考えるべきでしょう。

私の考察ですと、単語(品詞)が母音で終る日本語のような開音節言語が、当然社会の発達と共に多くの音声語彙を作り得る閉音節言語への移行が進められ、英語の元の言語である古代ギリシャ語の単語の語尾になどに子音が多く使われるようになると**、文節の入れ替わりが起こり、

SOVがSVOに変わるのです。そして開音節言語から閉音節言語に変わっていくのです。今の日本語と同じ開音節言語だった古代ギリシャ語は、このプロセスを辿って、閉音節言語の表記方法であるギリシャ文字24(当時)が誕生したのである。このギリシャ語が英語を始とするヨーロッパ

言語(スペイン語・ポルトガル語を含む)言語になったのです。

ところで、動物は自分たちの発する「音声」(響き)に、はっきりした意味(概念)を持っているでしょうか。

人類が最初に喋った言語は、「響き」は持っているが「意味」を持ってない品詞が混じっている、開音節言語だったに違いない筈です。

日本語に「がちゃがちゃ」とか「ちょろちょろ」とか「中ぱっぱ」とか擬音語が非常に多いのも、このためです。

他の民族国家は、閉音節言語を習得する為に、多大な経済的発展を後回しにしているのです。

そこが、日本の代議士と外国の政治家が大きく違った(違う)ところです。

言語改革をするときは、物質的に豊かでない方がいいのです。

こういう開音節言語だけを喋っている国会議員の国家は、自ずといまの時代を生き抜くことが非常に難しいことが分かります。

民主党にしろ、自民党時代にしろ、政権が一年前後でコロコロ替わって長続きしないのも、「はんずめじょろじょろ、ながばっば」と同じ開音節言語を喋っていて、統治能力がなくなっているからに他なりません。

* 「而」とうい漢字は、「音韻」を整える為にあるそうです。

**  例えば、Kunososu が Knossos 変わるように(Kunososu は、あくまで例えですが)、主語と目的語と動詞の各語尾が子音で終るようになると、SOVがSVOに変わるのです。将に、開音節言語から閉音節言語に変わるのです。

▼線文字B/ クレタ島出土 / 日本語の「アカサタナ・・・」相当する

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▲アフリカも土着の開音節言語だけでなくヨーロッパ言語を話すようになった。開音節言語の日本の演歌はアフリカの魂のふるさとを呼び起こすに違いない(2012年2月追加)

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▲アフリカのエチオピアにある教会(2012年2月追加)

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 母音言語と子音言語の違いについて次のような意見もあります

   『子音言語民族はすっぱりと割り切れるが、 母音言語民族はなかなか (PDF) (2013年9月追加)

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確かに日本語にも子音がありますが、それがあるからと言って日本語が開音節言語でないと言いきれない/ やっぱし日本語は開音節言語!/ と「重度複合障害の難病言語」 [理論言語学]

確かに日本語には子音があります。男同士でふざけ合って「おっ」と言い交わした頃を思い出す。この「おっ」の最後の「」は「」のように聞こえます。

また「さらい」の「」などは速く言うと、「」と発音しているかも知れません。

「オリピック」の「」などは(正確には我々は「」と発音していますが)、「」は実際には子音のように聞こえます。

結論から言わせて貰いますと、やはり日本語は開音節言語と言わざるを得ません。というのは子音のケースが非常に少なく、開音節の方が圧倒的に多くて、子音が全体に及ぼす影響は無視できるほど小さくて、それ以上子音が増えることはない。

ですから日本語は開音節言語で留(とど)まっていると考えてよいでしょう。

そこでなぜ日本語は開音節言語でまっていて、閉音節言語に移行していかないのでしょうか。

それは日本の為政者たちが子音を表す文字、あるいは体系を作ってこなかったからです。中世の頃、「何とか哀れみの令」といって犬に頭を下げさせる決まりを造った馬鹿殿様がいたからです。その前後の為政者も押して測るべきです。今の総理たちも似たり寄ったりにたり貝なのです。

どっかの国では日本の将軍などに相当する為政者が、「子音がないと国民は不便だろう」と言って27文字から成り立ち機能が「Alphabet」と同じ文字体系を15世紀に創り公布した。知性に置いて日本の馬鹿殿様とも雲泥の差である。まあ陸続きの大陸であったため刺激を受けていたの

だろうが。

その後その文字体系の使用に当たっては永い紆余曲折があったようである。一度漢字を使用してしまうとその視覚面を利用した語彙の豊富が捨てがたいのか、中々その文字体系の全面使用には至らなかったようで、日本の占領まで続いた。

日本の占領政策で漢字に加えてひらがなありカタカナありの日本語を強要されて辟易していたに違いない。また「言語」そのものを考えるようになったのかもしれない。

そして終戦直後にその文字体系の全面使用を決断したのである。ここにも日本の反面教師的な役割を感じざるを得ない。

この文字体系を全面使用していると表音文字であるため同音異義語など日本語以上に大変苦労するだろう。しかしながらそれを辛抱しているうちに単語の語尾が子音で終るケースが多くなり、それによって当然文節の最後が子音で終るケースが多くなると、50~100年先に、寒い時

期に氷が張り出すとさっと一気に全面に張るように、割合短期間にSOVからSVOに変わりそれに付くの「助詞」も無くなる筈である。その他の助詞も「前置詞」に変わる筈である。

さあどうする日本、開音節言語だけを喋っている「国家」は日本だけになってしまう!

日本の存在意義は原爆投下といい今回の原発事故といい、まさしく世界の反面教師であると言わざるを得ない。

日本はいまだに子音を表す文字あるいは文字体系を持とうとしないから、もう閉音節言語に移行する機会を失ってしまったと考えるべきである。

だから残されている方途は英語教育しかないのである。

民族あるいは国家が開音節言語から閉音節言語に移行したり、英語も公用語にしたりするするときには、その民族国家は大変な混乱と犠牲を伴うらしい。

ギリシャでは開音節の文字体系である線文字Bからギリシャ文字が確立するまでの500年の間の記録が残ってない暗黒時代あった。恐らく子音が沢山含まれるようになった古代ギリシャ語を日本の「あかさたな・・・」に相当する線文字Bで表すことが出来なくなり、そうかといって子音を

も表記できる新しい文字体系も中々出て来ない。この期間が500年近く続いたようである。

いま**半島ではアルファベットの機能と同じ****文字の全面採用によって、日本語と同じルーツの言語がアルファベット系の言語に変わろうとしている。辛抱強く****文字を使っていれば文節が入れ替わり、50~100年後には英語のような閉音節言語に変わる筈である。

この半島では同じ民族でありながら南北の分裂と言う悲劇が行われている。この悲劇も新しい言語に移行する時の副作用の一つと考える。

それに比べれば日本の小学校や中学校の英語教育はしょんべんだらり、外国では他の授業も英語漬けにしている。そして高校大学では英語で授業している。それでも家に帰れば、近所の遊び場では母語を話すから大丈夫なのである。日本の代議士は世界のホア中のホアである。

この英語教育でも日本政府は蛸のきん*ま烏賊のしょん*ん程度なのでありまする。

日本語をしっかり覚えてからなんていってたら、日本人は半永久的に外国語を身に付けられない。なぜなら日本語は「重度複合障害の難病言語」だからである。

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今の哲学と文明は、その殆どが人類が閉音節言語を話すようになってから築かれてきた/ 内閣総理大臣・各政党の党首様 [理論言語学]

MyBlogRelatedPage: 記事:日本語はそもそも即自存在・Being-in-itself・先史人用の言語で.. (2014年2月追加)

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今の文明の殆どと思想・哲学の全ては、人類が閉音節言語を話すようになってから築かれてきた。

人類の言語は、開音節言語から閉音節言語へと変遷する筈である

いまだに開音節言語しか話さない日本と世界の乖離は、これからますます開いて行く筈である

言語改革* をしない限り、日本はホモサピエンス初の傍系になる筈である

* **半島では27文字の基本形から成り立っている****文字の全面採用によって、同音異義語などの不便さを辛抱強く我慢すれば、多くの単語が子音で終るようになり**文節の入れ替えが起こって、50年後100年後には、英語などのヨーロッパ言語その他と同じ閉音節言語

に変わる筈である。

さあどうするジャポン!内輪揉めしているときではないよ!

**  S+時間節+場所節+O2+O1+V から S+V+O1+O2+場所節+時間節 へと文節の入れ替えが起こる筈である (O1=直接目的語、O2=間接目的語)

images線文字B59音表.jpg 線文字Bの50音表

MVC-024F.JPG 「あけまして おめでとう」 in Linear B

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▲▼上の三行と下の3~5行と一致している

265px-Linear_B5B15D-fe0d3線文字B.jpg 線文字B (ギリシャ出土/未焼成の粘土板)

線文字Bの解読 (みすずライブラリー)

線文字Bの解読 (みすずライブラリー)

  • 作者: J. チャドウィック
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 1997/06
  • メディア: 単行本

線文字Bを解読した男―マイケル・ヴェントリスの生涯

線文字Bを解読した男―マイケル・ヴェントリスの生涯

  • 作者: アンドルー ロビンソン
  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2005/10
  • メディア: 単行本
▲今の英語も、今のヨーロッパ言語も元を辿ればギリシャ語に行き着き、古代ギリシャ語は日本語と同じ開音節言語だったことが明らかになった

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日本人が語学が苦手なわけ/ それは日本語が「あかさたな・・・(いろはにほへと・・・)」の段階で終ってしまった発達障害の言語であるから/ 内閣総理大臣とそれを補佐する閣僚様へ [理論言語学]

日本の発音記号であるカタカナ(「ひらがな」でも同じ)は、漢字の「造り」や「偏」を利用をしたものである。

日本に漢字が伝わった当時の中国語は、もちろん既に閉音節言語になっていた。漢字が日本に伝わる以前は(も)、日本人は「あいうえお」の開音節言語を話していた筈である。

中国語も今の英語も閉音節言語である。英語も元を辿れば古代ギリシャ語であり、古代ギリシャ語は線文字Bの解読によって「あいうえお」の開音節言語であったことが解明された。

残念ながら中国語の場合開音節言語の時期があった筈であるが、その痕跡がない。古代ギリシャには500年ほどに亘る「暗黒時代」があり、言語が大きく変わるときは大きな痛み・犠牲が伴うらしく線文字Bが残っていたの軌跡というほかなく、開音節言語から閉音節言語に移行するとき

は言語の混乱期があるらしく、新しい閉音節言語を記述できる文字体系が確立するまで、文字がない期間があるのではないだろうか。

人類の言語は開音節言語から閉音節言語へと発展していくのである。

ボノボなどの類人猿は口蓋は、非常に前後に長くて人間のように上下方向に舌を自由に動かすことが出来ないため、「あいうえお」とそれから英語や中国語にあるように「細かい母音」を聞き分ける* ができるが、五音しかない「あいうえお」さえとても発音できないという。

このように閉音節言語から開音節言語へと発展するとは考えられない。

このように日本語は、音声面と視覚面とが切ってもきっても切れないコンビネーションになっている言語の視覚面だけを勝手に採用してしまった、身勝手な言語なのである。そして自分一人で悦に入ってるのである。

そのような言語だけで培われた気質は世界の自*症気質で、世界に同化できないことが分かる、我が国会議員のように

漢字の主に視覚面に頼って語彙を無限?に増やせる漢字をも開音節である日本語に繰り入れたために、日本は半永遠的に閉音節言語に発展する機会を失ってしまった。

日本語は、開音節言語で止まってしまった発達障害の言語なのである。

* 開音節言語の日本語がすっかり身についてしまった、閣僚にもなり得る日本の代議士たちは、この聞き分け出来ないのが圧倒的に多く、それがもう遺伝子に組み込まれつつあるのか。

そう思いたくないが。

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▼▲ ボノボは研究所で教えるでもなく覚えた英単語を千以上聞き分けることが出きると言う(女性は英語を発音している)/ 名前を「カンジ」という/ 名前を聞いて類人猿の僕は頭を抱えてしまった/ なぜって「漢字」をカタカナ書きにすると「カンジ」で、象徴的な名前と思えるからである

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▼ 喉頭がうんと下がって口蓋がずっと後退して舌が前後上下に十分に動くようになって、人間は五つの母音が発音出来ようになったという。さらに口蓋が後退して舌と脳との距離が更に近くなると** 人間は閉音節言語のように子音が豊富になり、細かい母音も発音できるようになったと思

われる

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▲▼ 人類が五つの母音を発音できるようになるのはこの上下の間の期間と思われる

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▲▼ 人類はもうこの前後、「あいうえお」の五母音の基礎は出来つつあったのではないか/ 日本人はいまだに五母音の言語だけを話している!

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** 手の指が足の指よりずっと細かく動くのは、手の指の位置が足の指の位置よりもずっと脳の位置に近いからである。

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外国語をカタカナに書き換えることは人類最大の愚行である/ 内閣総理大臣様へ届け! [理論言語学]

だから、日本にだけ原爆が二つも落ちたのである。

開音節言語から閉音節言語に移行することは、酸素と水素が反応して水が出来ると同じで、地球に生命が出来る前から、この宇宙が出来る前からすでにプログラムされていることなのである。

日本語は、元々音声言語の日本語に漢字の視覚面を利用して語彙を豊富にする方法を日本文に部分的に採用してしまったので、半永久的に閉音節言語に移行する機会を失ってしまった。

日本の国だけが世界の潮流、人類の潮流に乗れないでいる。

後は外国語(英語)も、国語にする外ないのである。

* ここでは原子爆弾がアインシュタインの仮説に基づいて作られたとか、カタカナが(「ひらがな」もそうであるが)日本語の発音「記号」であるとか、言語の「音韻面」は「現在」における双方通行のコミュニケーションであり、言語の「視覚面」は「過去から現在へ」の一方的なコミュニケーションである

とかその他枝葉的な詳細は、くどくどと御託を述べない。


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大東亜共栄圏は精神病気味の唯の幻想であったことが分かる!!理論言語学的な見地から日本語のような開音節言語だけではグローバルな発想が出来ず統治能力不能なことが分かる/ 日本の国会は殆どが偽善者で世界最大の鷺集団であることが分かる/ このままでは日本は先の敗戦のように何も残らず歴史を閉じる筈である、我が国会議員たちの所為で! [理論言語学]

一番普遍的なものである!?「時間」の表現について言語学的に考察する。

それは、時間を表す「開音節言語」と「閉音節言語」の違いである。

日本語のような開音節言語では、" the " のような定冠詞がない。

英語には、" It's ten minutes past the hour. " という表現がある。朝のラッシュアワー時のラジオのニュースなどの番組('Radio show' とも云うらしい)では頻繁に使われる。

この" the " を正確に日本語で表そうとすると、「今はその時間10分過ぎです」と云わなければならない。「その」は形容詞的な表現で開音節言語では必ず二音節かそれ以上の音節を取る筈で、頻繁に使う単語としては非常に冗長で、実際には使えるものではない。

そこへ行くと、「その」を閉音節言語の英語では、" the " という一音節で表すことが出来る、それもあるかないかの微弱音として、しかもそれでも十分意味が通じる。

ラジオの朝の忙しい時間帯で、定時のときは「今8時です」と言うことがあっても、その定時の間で "the hour" といえば、世界のどこの都市でも自然と「同時に」受け取ることが出来る。

まさか時間を言わずに、「今10分過ぎです」とも云えまい。

日本語のような開音節言語は、定住しているとは言え竪穴式住居、あるいは腰の周りを獣の皮を巻いて手には槍を持って鼻には動物の骨を通して、野原を駆けずり回っていた時代に一番相応しい音韻言語なのである。

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▲このころはまだ腰に毛皮を、「鼻」には人骨?を通していなかった

日本語みたいに先史時代に音韻の基礎が出来た開音節言語は、一日を24分割した「一時間」単位で国内を統括できる小国用の言語で、それだからこそアフリカの部族とか太平洋の諸島のカメハメハ大王の民族とか、アボリジニとか、マオリ族にその他に閉音節言語が浸透しているの

はごく自然の成り行きで、日本だけが世界の、人類の潮流に乗れないでいる。そのがん細胞のような元凶は一体どこにあるのだろうか!

「大東亜共栄圏」と云って土足で相手の国の了承も得ないでずかずかと軍靴で軍歌を歌って侵略して行き、御万歩譲って仮にかった* としても、母音が五つしかない開音節言語の日本語では大きな国は統治が出来ず、混乱が起きる筈である。

言語として表現できないのに、なんでその言語しか喋れない国家が統治できるのか、できる筈がないのである。

そんなことは絶対に起こりえないのである。

* 勝った、買った、飼った、駆った、刈った

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▲園山俊二の世界/ はじめ人間ギャートルズ▲前景のよちよち歩きの、しゃがんでいる原人がいかにもいじらしい、まだ子供なのか

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なぜ日本語では動詞が最後に来るか/ 日本文はなぜ「あえいおう」の順で並ぶのかの考察/ 開音節言語におけるエネルギー逓減の法則/ この点では類人猿くんはぶれません/ 人間は自分の意思で動きますが自己のやることにはこのように「法則」があることを忘れないでください [理論言語学]

1  日本語は、「あかさたなはまやらわん)」の五十音表にある仮名の発音をして、文章が作られて行きます。

2  そして各音節は母音そのもの、あるいは子音と結びついた母音で終わります*1

3  そして母音は有声音であるから、喉から出た「」が唇の間から勢い良く外へ出ます。手のひらの内側を唇から一、二センチ離して何か話してみてください。手のひらに暖かい息が当たるのに気が付くでしょう。

4  「息」は暖かい空気の流れなので、エネルギーを持っています。

5  日本語には、「」「」「」「」「」の五通りの母音があります。

6  正面から見た唇の開き具合(面積)が、  の順*2で、小さくなって行くのが分かります。(このブログの最後の方の写真を参照のこと)

7  ということは母音、「」「」「」「」「」の順*3でエネルギーが小さくなって行くのです。

8  人が喋り出すと途中で息継ぎをしない限り、また意識して途中で大声を出すなどしない限り、発声は徐々に弱くなって行く筈です。

9  ところで人は食事などをしてエネルギーを摂取し、運動や喋ることエネルギーを消費して行きます。

10  ここで一つの仮説が生まれます、「日本語の構文は、なんらかの形でこの母音が関係しているのではないか、そして構文が進むにつれて母音のエネルギーが弱くなって行くのではないか」、という仮説です。

11  ところで文章を構成している最大単位は何でしょうか、それは「文節」です。

12  それでは、例文、「王さんは今週の土曜日、卒業式で私に花をくれる」をとって、さらに説明を進めていきます。

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(テレビの外国人のための日本語教室の例文「王さんは私に花をくれる」に、「時間」と「場所」の文節を挿入してみました)

(例 文)

13  王さんは今週の金曜日卒業式で私に花をくれる 

14   王さんは/ 今週の金曜日/ 卒業式で/ 私に/ 花を/ くれ

15  この文は文節ごとに区切られています。各文節の最後の音節アルファベットに置き換えてみます。

16   王さんWA/ 今週の金曜日/ 卒業式DE/ 私NI/ 花WO/ くれRU/

17  母音だけを抜き出してみます。

18  A  E  I  O  U  (aeiou) の順です

19  これは、7.の 「」 「」 「」 「」 「」 (あえいおう)の順序と同じです

20  日本語文は文節はこのような法則で並ぶのです*4

21  日本語文におけるこの法則を類人猿くんは、「日本語におけるエネルギー逓減の法則」と呼んでいます。何も日本語だけにあるのでだけでなく、過去に存在しまたは現在も若干残っている、開音節言語全般に通じる法則である筈です。

(まとめ)

22  動詞は「現在形」だとか「過去形」だとか「未来形」だとか「命令形」だとかに変化します

23  この中で「現在形」が、必ずその語尾の音節に、母音「U」を持っているのです

24  そして「過去形」とか「未来形」とか「命令形」は、「現在形」の派生したものなのです

25  人類がはじめて動詞発声したときは、現在形であったに違いません

26  そしてしばらくは現在形で、過去を、未来(将来)を、命令を表していたに違いありません

27  7で述べたように、う(u)」は母音の中で一番エネルギーの小さい母音です

28  ですから一番エネルギーの大きい助詞「」で終わる主語節が最初に来、一番エネルギーの小さい助詞「」で終わる動詞節が最後に来るのです。

29  そして主語節と動詞節との間には、助詞を必要としない「時間節」+「で」で終る「場所節」+「に」で終る「間接目的節」+「を」で終る「直接目的節」か来るのです。

30  日本語の文章は、

  『主語・は + 時間 + 場所・で + 間接目的・に + 直接目的・を + 動詞

の順で並ぶのです。

31  このように日本文においては、「動詞」一番最後に来るのです     

(備 考)

*1   「n)」、「olimpikku (オリンピック)」、「Oss! (おっす!)」など、日本人は知らず知らずこのような発音している場合があるかも知れません。しかしこういう例は非常に少なく、全体としては無視することができます。 

*2  「あいうえお」の順は、音の高低順に並べたもの。

*3  声楽の発声練習は、「あえいおう」の順序でします。 スペイン語も母音はしか無く、「あえいおう」の順序で発音します。「あえいおう」は、「あ>え>い>お>う」の順に唇の空き具合(面積)が小さくなっていきます。

ですから「あいうえお」より、「あえいおう」と発音した方が合理的なのです。早口言葉では、「あえい  おう」の方が正確で速くできる筈です。 

*4  日本文の主語と動詞の間の文節は、「時間 + 場所 + 間接目的 + 直接目的 の順に並ぶのが一番自然なのです。

(理 由)

ⅰ  「なぜ動詞が主語から一番遠いところに位置するか」はこのエントリーでの主題と同じですからこの備考では説明を省きます。

ⅱ  残った4つの文節(時間・場所・間接目的・直接目的)は、主語と動詞の間何らかの法則で並んでいるのです。それを説明しましょう。

ⅲ  ところでこの4つの文節の中で、動詞の意味合い一番強い係わり合いがある文節のはなんでしょうか。

ⅳ  それは、直接目的です。なぜかと言うと、

ⅴ  「くれる」と言えば、「ぇ何をくれるの?」と、口にしなくとも自然に心にこの問い・思いが浮かび、これに論理は欠けてはいません。

ⅵ  「花をくれる」に論理性に欠けていません。ですからこれが一番自然に響くのです。

ⅶ  ところが間接目的の「私に」を動詞の直前に持ってきた場合はどうでしょうか。

ⅷ  「私に・くれる」では意味に論理性を欠いてます。この文は目的語を欠いているからです。

ⅸ  この論理性の欠如は、場所節を動詞の直前に持ってきた場合の「卒業式で・くれる」にも、時間節を動詞の直前に持ってきた場合の「金曜日・くれる」にも言えることです。

ⅹ  ですから動詞の直前には、直接目的節を配した「花をくれる」が一番自然なのです。

ⅹⅰ  そして間接目的節の「私に」が、「花をくれる」の直前に来て、「私に花をくれる」となり、この三つの節が繋がって論理性を持つようになるのです。

ⅹⅱ  また「誰に」、「何を」、「くれる」は同列に並べるべきもの、一直線上に連続して並ぶべきものですが、「場所節」と「時間節」はこれらとは別次元のことですから、これらの節はさらに動詞より遠いところに位置することになります。

ⅹⅲ  では「場所節」と「時間節」は、どちらがどのように位置するのでしょうか。

ⅹⅳ  「場所」は私たちの住んでいる三次元のどこかに具体的にあるものです。私たちはそこへ行って触ることができます。たとえば「卒業式(で)」は学校の体育館やホテルの催事場で行われたりするもので具体的にあるものですが、「時間」は我々の住んでいる三次元をすっかり包んで

い、しかも目に見えないものですから、この4つの節の中で一番我々から一番遠くにあるものです。ですから「動詞(節)」から一番遠いところに位置しているのです。 

ですから、日本語文は、

・ 王さんは今週の金曜日卒業式で私に花をくれる

が、一番自然な文となるのです。 

ⅹⅴ  私たちが、「どこでいつ?」よりも「いつどこで?」と使う方が多いのも、またより自然に感じるのも、この理屈が働いているからに他なりません。

*5  日本文に限らずアフリカなどの土着の言語は日本語と同じ開音節言語ですから、彼らの言語もこのAEIOU の順序になっており、動詞が最後に来ることが十分考えられることです。

人類はアフリカから広がったと言いますから、開音節言語も世界中に広がったと考えるべきです。

ヨーロッパに閉音節言語が広がり始めたのは紀元前1000年あたり(ギリシャ文字の誕生とそれ以前の「線文字B」の存在)ですから、アジアの中国でもこの前後に開音節言語から閉音節言語の現在に通じる中国語に変わったのではなかろうかと思われます。

* アルファベット26文字の中の母音もなぜかこの法則で並んでいます(不思議です・アルファベットは、ei bi: si: di: i: ef ji: eich ai jei kei el em en ou pi: kyu: ar es ti: ju: vi: dabjuryu: eks yai zi: と発音します/ 一つの理由はアルファベットには意味がないからであ

り、母音は、ei, i:, ai, ou, ju: と発音するのに/ ギリシャ文字が出来てから2000年以上復唱されて来てこういう順序になったので、「エネルギー逓減の法則が働いてる確率が高いと考える)。

 § A B C D E F G H I J K L M N O P Q R S T U V W X Y Z

▼線文字B(ギリシャクレタ島出土)

265px-Linear_B[1].jpg 

▼母音は「」から始まります 

7514717.jpg

▼壁には左から、AEIOU の順序で並んでいます。I の唇の空き具合が O, U より小さく見えますが、実際は大きいのです

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好例者は健康のために、タップダンスをしよう!

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(SINGIN' IN THE RAINより)

 

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どうして日本語では助詞が二つも付くのか/ 日本語は東西南北島国日本の全体の方向性など知らなくて済んだ手に槍を持ち腰に毛皮を着け裸足で原っぱを駆けずり回っていた頃に生まれた音韻言語の可能性が強い!/ 筈であるシリーズ [理論言語学]

どうして英語に限らず他の言語では、'Letter from Canada' と助詞に相当する前置詞が一つで済むのに、「カナダから手紙」と言うふうに、日本語では「助詞」が二つも必要なのだろうか。

日本語にはこの表現が非常に多い。

「カナダから手紙」とか、「~について」とか。

「カナダから手紙が来た」の場合は一つの助詞で済むのに

Letter from Canada とか About ..... とか

(コウサツ)

から」という助詞は、その前の「カナダ」に関わりを求めている助詞である。この「から」は、方角的には「カナダ」という言葉に向いているのである。矢印で表すと、

カナダ から

である。 

しかしながら、この文節の流れとしては、

カナダ  から  の  手紙 

と右方向に流れている。

この文節の流れと、「←から」の方向性とは正反対なのである。文節の流れを、「←から」という助詞の方向性が打ち消してしまっている。

それで方向性を失った文節を元の右向きの戻すために、左右両方に関係性を求める助詞「」を挿入することによって、文節全体を右方向の流れに整流しているものと思われる。

Letter from Canada では、文節の流れが 

Letter → from→ Canada 

であり、助詞に相当する前置詞 from- も係わり合いを求めている言葉は「Canada」であって、文節全体の流れ沿っている。そのためそれ以上何もいらない。


これを人間の歩行にたとえると、途中まで歩いてそこで一旦反対を向いて少し歩き、また正反対に向きを変えて歩くようなもので、日本語を喋るということは日本語内の感覚では正常感覚であっても、日本語から一歩出ると心象世界で 方向音痴 を起こす筈の言葉なのである。

§ 英語音痴の国会議員が日本の国を滅ぼす!

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このため日本の代議士、閣僚は役人がお膳立てし、役人に引率されて行く小学生のようなもので、自分で一人で行動できない。後は読み方を一夜漬けで特訓し、英文か日本語の原稿を読むだけ。おおかたの日本の代議士は、このような日本語の感覚で寅さんよろしく肩で風を切るように

して世界を泳いでいるだけと言ってよい。これじゃ「寅次郎さん」と似たり寄ったりにたり貝。彼らも家族、後援会と国民の間の板ばさみになっているから。国民より後援会の人の方がずっと大切なようなシステムになっておるからだ。

車寅次郎(銅像)/ 故渥美 清氏
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順不同
Kantaro_Suzuki_suit_cropped[1].jpgGenjin (Kiki Kirin).JPGLittle_boy[1].jpg80px-Shigeru_Yoshida_smiling2[1].jpgNobusuke_Kishi_1956[1].jpg
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ではなぜ日本語ではこのようなことになるのか?

それは日本文が意味のない母音の持つ響きのあり方によって秩序だっているからであり、意味・概念・理性ではないからである。ですから日本人は情緒的なのである。

日本語: 健 土曜日の夜* 東京ディズニーランド 彼女 婚約指輪 贈 

* 幅のある時間帯を表しているのでこの文節を性格づける「助詞」は付かない、何故なら時間は我々の知覚できる三次元の世界をすっぽり包み込むようにして見えないがどこにでもあるからである

日本語: 健wA 東京ディズニーランドdE 彼女nI 婚約指輪O 贈rU

英 語: Ken presents a engage ring to her at Tokyo Desneyland Saturday evening.**

**  日本語と同じタイプの言語(線文字Bが出来たときの古代ギリシャ語)が後に周囲の言語の影響を受けて、ぼんぼちぼちぼち単語の語尾が子音で終わるようになると語順が主語+目的語+動詞から主語+動詞+目的語に変わり、ますます語尾の子音が多くなって、現在のような英語になったと思われる。

上の日本文の文節はその文節の最後の音節の母音が、AEIOU の順序で終わっているのです。この順序は声楽で習う「あえいおう」の順序で、これは正面から見た唇の開き具合がだんだん小さくなって行き、それと共に吐き出される息の量が少なくなって行く順序なのです。

吐き出される息はエネルギーを持っているので、息が少なくなって行くということはエネルギーがだんだん小さくなって行くことなのです。

日本語は物理的な量の多寡によって並んでいるのです。物理的な大小なのです。

ですから、日本人は物の大小、物理的な大小に弱い、音の大小、上下の縦の関係でしか物事を考えない傾向が強いことが判ります。

本人がなんと言おうが、生麻、垣谷、吹伊、階二、田福、曽根中、木林、泉小その他は縦の関係でしか物事を考えない傾向が非常に強いことが解ります。

そこへ行くと、英語は各単語の最後(ということは各文節の最後)も子音で終わることが非常に多く、子音は理論的に音韻を持っていないので、吐く息はエネルギーを持っていないことになり、エネルギー逓減の法則が働きません。

では何が英文を順序建てているかと言うと、それは「文節の持つ意味合い」です。英文は意味合いの強い順に並んでいるのです。

「健は贈る」と来れば次には「何を」と目的語が生起されます、まして「贈る」となれば「電信柱」を贈る人はいないでしょう。日本語の順序で、「健は東京ディズニーランドで」と言ったら、次に続くと文節は無数のケースが考えられます。すてがらに、えーごのべぇ、目的格ばつぐるじょす(助詞)

さへづよー(必要)なくなるんだっちゃ

このように、英文は、「言葉の意味合いの大きさ」で順序が決まって来るのです。日本語は「音の大小・高低」という物理的な多寡の順序で、英語は「言葉・概念」の世界の順序で並んでいるのです。

ですからこのことで日本語が「重力」の影響を大きく受けていることがわかり、「移動」を嫌う言語であることが分かります。

一方英語は言葉、意味、概念の強さで文章が作られて行くから、開音節言語の日本語よりはるかに「重力」の影響受けません。

このため英語が「移動」を厭わない言語であることが分かります。イギリス人が海洋民族と言われた由縁です。

このように、言語は中国語、英語のような閉音節言語に変わって、孔子だとか孟子、ソクラテスだとかパスカルだとかデカルト、サルトル、アインシュタインなどの世界の見方を変える哲学者、科学者が現れて来たのです。サルトルが出て、出尽くした感がありますけれど。


(このころは人間は「おれ」「おまえ」「あっち」「こっち」「そっち」「そこ」「ここ」とか、「おまえ、さき、つかむ」など代名詞と簡単な名詞や動詞の現在形を使って、身振りを交えて意思疎通していたかも知れぬ)
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3fba140321d788e0bbb31d929969adaa[1].jpg はじめ人間ギャートルズ

(その後定住し社会生活をし始める頃ろになって人間は、「おらうらのはやしおまえべちゃこばすてぇ」とかなんとか、「助詞」を使った文章を使い始めたのではないか。いまの開音節言語の日本語の基礎はこの頃(石器時代後期?)に出来たのかも知れない。それ以来日本語の音

韻は、基本的には今に至るまで変わってない開音節言語の筈である)

(この助詞の二重使用については以前にも書きました。今回は焼き直しです)


勘太郎月夜唄

作詞:佐伯孝夫 作曲:清水保雄

影かやなぎか 勘太郎さんか
伊那は七谷 糸ひく煙り
棄てて別れた 故郷の月に
しのぶ今宵の ほととぎす

なりはやくざに やつれていても
月よ見てくれ こころの錦
生まれ変わって 天竜の水に
映す男の 晴れすがた

菊は栄える 葵は枯れる
桑を摘むころ 逢おうじゃないか
霧に消えゆく 一本刀
泣いて見送る 紅つつじ

 ◇

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参考資料 (平成29年10月吉日追加)
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日本語はそもそも即自存在(Being-in-itself)且つ先史人用の言語で、言語の無い処に初めてでき、文字を必要としない音韻のみの開音節言語だったのであり、英語・中国語は開音節言語の中からそれぞれ一つが発展的に生まれて来た閉音節言語であって、対自存在(Being-for-itself)且つ有史(歴史)人用で、必ず文字を伴う閉音節言語である客観的証拠(「一円現象」One-Yen-Coin-Phenomenon)を発見した!// 日本はその言語と近代・現代の生活様態との間に大きな乖離が生じてしまった、世界で唯一言語的に発逹障*気味の特殊な国家/特にソフトウエア中のソフトの政治の世界において/だから日本にだけE=mc^2の実証である原爆が一度に二つも落ちた/それ故平和憲法9条(戦争放棄)と96条(改正手続)は変えてはいけない & My EXISTENTIALISMと実存主義 
    
 

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