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実践 私の実存主義講座 第108回 実存主義哲学で言う「即自存在」と「対自存在」はそれぞれ「日本語」と「英語」(米語)であった!!!/ 大分頭がおかしい?サルトル被れより [ことばと社会]

サルトルの実存主義哲学で言う『即自存在』と『対自存在』とは、同じ命題について書かれた日本語文と英語文が、「一円周上を互いに反対方向に構成され終止する」という現象の、それぞれ日本語と英語そのものなのです。

大哲学者のサルトルも、このことを知らないままに死んでいったようです。

サルトルは「即自存在」とは、「それがあるところにありないところにないもの」と定義しました。

サルトルは「対自存在」とは、「それがあるところになくないところにあるもの」と定義しました。
このことは「即自存在」と「対自存在」も、「同じ所にはいない、ありえない」ことを表しているのです。
この「一円周上を反対方向に構成され丁度一周して終始する」ということは、「決してこの二つ、日本語文と英語文は同じところにはいない、ありえない」ということを表しているのです。
なぜなら、「向き」が全くの反対方向だからです。
そしてまた、「即自存在」と「対自存在」も、「一円現象」と同様「同じ所にはいない、ありえない」ことを表しているのです。
サルトルは、「対自存在」自体は「無」であるとも言っている。
無であるから、形、重さのないもので、それは言葉、概念、言語である確率が非常に高い。
そこに来て、英語好きの”私め”が遂に、『日本語と英語(米語)が示す「一円現象」』を人類史上初めて発見したものである。


日本語文: 私達は/ 先週の金曜日/ 五番街/の/ ホテルのレストラン/で/ 夕食会を/ 持ちました。/

英語文 : We/ had/ dinner/ in/ the hotel's restaurant/ on/ Fifth Avenue/ last Friday./

  ‐ 

         ← 私達は = We →


先週の金曜日 ↓ = last Friday. 持ちました。 =  had

5番街 ↓ =  Fifth avenue    夕食会を ↑ =  dinner

    の ↓ =  in (on)        で ↑ =  in

ホテルのレストラン → =  the hotel's restaurant



そして、日本語は開音節言語が行くところまで行ってしまった、典型的且つ代表的な「開音節言語」ですから、その日本語だけを話す人間を、「即自存在」の性格が色濃く残っている人間と見做すべきなのでしょう。


参考資料 (平成29年12月吉日追加)
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画像 タイトル              
日本語はそもそも即自存在(Being-in-itself)且つ先史人用の言語で、言語の無い処に初めてでき、文字を必要としない音韻のみの開音節言語だったのであり、英語・中国語は開音節言語の中からそれぞれ一つが発展的に生まれて来た閉音節言語であって、対自存在(Being-for-itself)且つ有史(歴史)人用で、必ず文字を伴う閉音節言語である客観的証拠(「一円現象」One-Yen-Coin-Phenomenon)を発見した!// 日本はその言語と近代・現代の生活様態との間に大きな乖離が生じてしまった、世界で唯一言語的に発逹障*気味の特殊な国家/特にソフトウエア中のソフトの政治の世界において/だから日本にだけE=mc^2の実証である原爆が一度に二つも落ちた/それ故平和憲法9条(戦争放棄)と96条(改正手続)は変えてはいけない & My EXISTENTIALISMと実存主義 
       
 

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