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今(現代)となってはカタカナは日本語の「発音記号」であって、その羅列は「言葉」とは言わない [ことばと社会]

人類は先史時代の生活から有史時代に入ることによって、「記号」と「言葉」を区別するようになった。

まさに、「文化とは分化」である。

日*人は「記号の羅列」を、「言葉」と勘違いしている節がある。

何と嘆かわしい!!?

これは、「文化とは分化である」と言う名言の一つの実証例であると思う。

MyBlogRelatedPage: 日本語はそもそも即自存在・Being-in-itself・先史人用の言語であり、英語・中国語は対自存在・Being-for-itself用の言語である客観的証拠(簡潔で美しい現象)を見つけた! (2014年3月追加)


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