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言語は「助詞」の有る無しが開音節言語と閉音節言語の分かれ目であり、分かれ目であった筈である/ 開音節言語と閉音節言語には大きな隔たりがあることが分かる [ことばと社会]

音だけがあって意味がなく、意味のある単語とくっ付いて意味を持ってくる「助詞」というもの* の有る無しで、その言語が開音節言語であるか閉音節言語であるかの境目であることが分かる。

今地球上で実用的に話されている言語は圧倒的に閉音節言語となってしまったが、日本語のようにはっきりと「助詞」というものがあり、またはっきりした形で使われている言語は先史時代にはメジャーな言語であった筈である。

開音節言語は閉音節言語に比べて非常に少ない語彙しか作れないため、先史時代の生活をしていた人は自分たちの言語を古代ギリシャ人のように自ら閉音節言語する**か、あるいは土着の言語しか話さなかったアフリカの民族は閉音節言語をも身に着けるは20世紀ごろまで、ヨー

ロッパ言語の到来を待たなければならなかった。そして彼らは土間や槍を手に持った鼻に動物の骨を通す先史時代の生活に別れを告げることになるのである。

また南太平洋のアボリジニやマオリ、あるいはカメハメハに代表される民族は20世紀頃になって英語の影響を受け先史時代の生活に別れを告げるようになるのである。

日本語の場合は隣に中国という民族的に世界史的に大国があり、日本が先史時代の生活に別れをつけようとする頃に、既に閉音節言語になっていた中国語の視覚面だけを取り入れて、語彙を多くすることを知ってしまった。

日本語は完全に開音節言語のまま語彙を豊富にするという、変則的な言語になってしまったのであり、又このことが日本語を純粋な閉音節言語に絶対と言っていいほどなり得ない言語にしてしまったのである。

閉音節言語は、開音節言語の母音の量が少なくなって、その分子音の量が増える言語と考えてもよい。

そして閉音節言語になるということは意味もない単語、品詞がなくなることでもある。

因みに、英語には意味のない単語や品詞はない。

因みに、中国語には「形而上学」などに使われる「而」を除いて意味のない漢字はないという。「而」という字は音を整えるためにあると学校の漢文で習った。

そのことは、開音節言語の「助詞」のような「音(響き)」だけがあって「意味」がない品詞があるということはその言語が開音節言語に他ならない証拠である。

このように、「助詞」のように響きだけがあって意味のない品詞があるということは、その言語が閉音節言語に発達する前の開音節言語であることを意味している。

日本語に、しとしとぴっちゃん、しとっぴっちゃんとか、コロコロとか、この二十一世紀になっても街でよく見掛ける或るものを「ガチャガチャ」と擬音語でしか表現出来ない、先史時代のでき先史時代の生活とともに消滅する筈の言語を、すでに閉音節言語までに発達してた中国語の視覚面だ

けの漢字を取り入れてしまった、今にまで生き延びている極めて変則的な開音節言語だからである。

こういう言語がその代わりに目が小さい、顔が扁平で表面積の少ない、黒海議員の答弁などに見られる世界で一番表情の少ない民族に造り上げていると思われる。

* たとえば「僕は・・・」であるが、「ぼく」には意味があるが、「は」(『わ』と発音する)には意味がない。しかしその二つを連ねた「ぼくは」には、文章の主語である、主語になろうということが分かる。

**  現在のヨーロッパ言語のルーツであるギリシャ語が、元は日本語のような開音節言語であったことが線文字B の解読によって1952年に明らかになった。

▽線文字B/ ギリシャクレタ島で発掘さる

265px-Linear_B5B15D-fe0d3線文字B.jpg

▽線文字Bによる50音表/ よく見ると字形が一致する

images線文字B59音表.jpg

 ◇

MyBlogRelatedPage: 日本語はそもそも即自存在・Being-in-itself・先史人用の言語であり、英語・中国語は対自存在・Being-for-itself用の言語である客観的証拠(簡潔で美しい現象)を見つけた! (2014年3月追加)


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コメント 1

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中国語(普通話)は開音節言語ですよ。北方系の中国語は入声が消失しており、音節の最後に来る子音はnとngだけですから。
by お名前(必須) (2019-06-26 21:56) 

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