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日*国内閣総理大臣様/ 日*の総理大臣は世界の鹿馬である/ 言語も一つの自然の造物の一つ/ 悲しいかな不自然な言語を喋る民族は天然資源に恵まれない土地に定住するようになる/ 人間は「意識の存在」、「言葉の存在」なのである [ことばと社会]

『仕事の忙しさにかまけ、毎日の豪奢な消費生活に溺れて不幸な同世代人たちの悲痛な呻き声を忘れてしまった思い上がって成り上がった人間たちよ、ひとつだけでいい、思い出しておくれ。大日本帝国は補給がなっていなかったから負けたという事実を。無資源国だから近代戦には向い

ていなかったという真実を・・・・・・。兄弟たちよ、われまことに汝らに告ぐ。日本国は職業的軍隊を組織して、その軍隊が重装備をして守り切れるような、有資源国ではないのだ。分をわきまえたまえよ兄弟たち。もろもろの資源に恵まれ、食料自給率の高い、自立せる経済大国であるかの

ような、途方もなく図々しい幻想を、おのが祖国に抱いてはならぬ。すべての思い上がった幻想を捨てよ。日本国が、よく働くことが取柄の人々の住む、小さな小さな資源小国であることを正視せよ。それに・・・・・・』


そこで、実存主義を引き合いに出す。

1. 『この世界(宇宙)の存在を、「即自存在」と「対自存在」の二つに分けることが出来る。「即自存在」とはそれだけで存在できるものであり、石ころ、富士山、椅子とかである。「対自存在」とは自分と自分の外にあるものを「意識」する存在であり、今のところ人間しか確認されてない。

2. 『「意識」は他の存在と同列に並べられる存在ではない。「意識」は自己を超越したものを志向する』

3. 『「意識」はつねに何ものかについての意識である』

4.『「意識」は指向性を持っている』 〔2014年3月追加〕


そこで類人猿くんは考えた。「言葉」(word) だって、何かについての言葉ではなかろうかと。そうして上の3 の「意識」に入れ替えてみたら、

・「言葉」はつねに何ものかについての言葉である。

と意味が通じた。

「意識」と「言葉」は一身同体、不可分のものであり、人間は「言葉」でもって「意識」しているのであることが分る。

「対自存在」である人間は、その言語の在り様で自然との係わり合いも定まって来るのだと思う、言語が自然であれば自然な結果に、言語が不自然(欠陥)であれば不自然な結果に遭遇する筈である。

先の敗戦がそうであったし、唯一の被爆国になってしまったのもこのためである。


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MyBlogRelatedPage: 日本語はそもそも即自存在・Being-in-itself・先史人用の言語であり、英語・中国語は対自存在・Being-for-itself用の言語である客観的証拠(簡潔で美しい現象)を見つけた! (2014年3月追加)


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