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「対自存在」の自分は死を迎えることによって「灰」という「即自存在」になる/ 深夜に心をよぎること [サルトル]

今までの自分の人間関係を思い出すと、自分は死ぬとどこへ行くのだろうかと思う。生前中のような人間関係が良しにつけ悪しきにつけ続くのかと思う。そこでサルトルの「実存主義」の哲学がしつこく心に浮かぶ。

「対自存在」というものはそれ自体では存在しえない「意識」の存在であり、「意識」は何物かについての意識であって重さも形もないくそれ自体は「無」であるが、その「意識」を包んでいる(維持している)肉体を含めて人間は「対自存在」として存在する。

人間は死を迎えることによって「対自存在」からそのもの自体で存在しうる「即自存在」となる。と理解していながら、やはり自分が意識を永久に失い、無となることは今寂しいことであると思う。

日本では欧米その外の国ほど「実存主義」に親しみがないのは、埋葬方式の違いにもあるのではないでしょうか。つまり土葬の方が死後の遺体が半ミイラ化したり、虫食ったり、白骨化したりでしばらくその姿がある程度原形を留めているが、日本の火葬の場合は残るものは僅かな灰とな

ってしまって肉体と魂が何処かへ旅立ってしまったのではかと考え易いのではないか。サルトルは「魂は天国へ召された」とは考えず、冷徹な哲学者の目で、人間の「意識」は無となりその肉体は「即自存在」物に変わっただけと考えたに違いない。

普段考えないことを考えてしまって今日一日、事*事*に遭わないように充分注意しようと思う。


サルトル全集 第13巻 改訂版

サルトル全集 第13巻 改訂版

  • 作者: ジャン・ポール・サルトル
  • 出版社/メーカー: 人文書院
  • 発売日: 1987/05
  • メディア: 単行本

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付録

手前味噌的?小論文

参考資料 MyBlogRelatedPage: 平和憲法9条と96条は変えてはいけない/日本語はそもそも即自存在・Being-in-itself・先史人用の言語であり、英語・中国語は対自存在・Being-for-itself用の言語である客観的証拠(簡潔で美しい現象)を見つけた! (2015年4月追加)


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