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日本語は言語の弛緩期をいまだに脱していない!?/ 日本人の英語の習得はもう必要不可欠!/ 同音異義語の存在 [言語社会学]

言語には生成期、発展期、充実期、弛緩期、さらに充実期、完成期、再び弛緩期、他の言語に征服される直前の衰退期などがあるのと思います。

日本がまだ大陸(漢字* )の影響を受けてなかったころは、純粋に「あかさたなはまやらわ」の50音表を正確に発音してたのに違いない。そのころは、語彙は非常に少なかったに違いないと思われます。東南Asiaや、太平洋の島国やAfricaの国々の多くの民族、部族は日本語のような50音

開音節言語だけを喋っていたが、視覚面の利点を大いに生かした漢字を採用した日本と違って20世紀前半頃まで狩猟などの素朴な生活をしていたようです。それらの地域にも音声語彙の豊富な英語が普及して来、物質的にも表情的にも豊かになって行くと思われます。

正確に」とは、
Sa, shi, su, se, so でなく、sa, si, su, se,so と。
Ta, chi, tsu, te, to でなく、ta, ti, tu, te, to と。
Ya, yu, yo でなく、ya, yi, yu, ye, yoと。
Wa, n でなく、       wa, wi, wu, we, wo, n と。

国語辞典を引くと、「発音記号」に相当するところに「見出し」として「せいこう」、「せいき」、「こうもん」、「こうしゅう」、「しゃせい」、「むせい」、「せいり」、「しょちょう」、「かんちょう」、「だんしょう」、「だんそう」、「こうしょう」、「よくじょう」、「こうしょく」、「こうせつ」、「こうび」、「ふかんしょう」、「かんつ

う」、「ぼうこう」、「じょそう」、「せいし」とか表示されているが、実際には「セーコー」、「セーキ」、「コーモン」、「コーシュー」、「シャセー」、「ムセー」、「セーリ」、「ショチョー」、「カンチョー」、「ダンショー」、「ダンソー」、「コーショー」、「ヨクジョー」、「コーショク」、「コーセツ」、「コービ」、「フカン

ショー」、「カンツー」、「ボーコー」、「ジョソー」、「セーシ」と発音されている**。(これほどの同音異義語のon-parade の言語の国は、世界中探してもどこにもない筈である。ある一つの基準で選んでもこれだけの数がある。全体の数は夥しいものになる。変わった国だ。同音異義語は曲者な

のである)。

別の例を挙げればOlimpic は「オリンピック」または「オリムピック」と書き直されます。世界の地名を漢字で書く方法がありますが、それとは違って非常に紛らわしいのです。「カタカナ」は日本語の発音記号ですから大概の日本人はイコール原語と同じと受け取ってしまうのです。日本人は「カタ

カナ」というMagician のtrick に酔いしれているようなものなもののようです。

日本人が戦争に負けたのは外国の策略、姦計によって戦争に負けたのではなく、自分の言語のtrick にずっと引っかかっていたのだと思います。わざわざ日本人にしか読めないカタカナに変えてしまって日本人は日本語だけの塀の中だけでも曲がりなりに生活できるようになってしまった。これ

は自らを外に向かって心を閉ざしてしまった世界です。日本人は認識論的に世界の人と違いがあるのではないでしょうか。

これほど発音に関して大らかな国は、他にないのではないか。大らか過ぎるのではないでしょうか。音韻に関してこれほどルーズな言語は他にないのではないでしょうか。このことをあまり意識してないと、これは日本人の性格を創るのではないでしょうか。顕著な本音と建前とか、総論賛成各論反

対だとか。日本語はいまだに弛緩の段階から抜け出せないでいるのではないでしょうか。

「コンクリート」よりも「人」へと、「教育」とういソフト面に重点がsift したから、日本人には忍耐の時期が続くと思われるが、永い目で見ると日本にも少し僥倖が見えてきたのかなぁ。


* 日本人は漢字を採用することによって視覚的に語彙を豊かにして来たが、その分だけ音声面で神経が行き届かなくなってしまった。会話をしていて「音声」は話すそばから消えてなくなってしまう現在的なものであるが双方的なものであり、「視覚」は書いたそばから記録に残りますが「過去」か

らの一方通行の通信であること忘れないでください。中国語は閉音節言語で音韻が開音節言語よりずっと豊富ですから、視覚言語でなく英語と同じ音声言語に属します。


** 「セーコー」は「セイコウ」より退行した発音であること。人間は文章と言うものを喋っているときは息(energy)を消費しているのであり、一音節のenergy の強さは文尾に向かって弱くなっていく法則が働いている。これをわたくしは、「文章におけるエネルギー逓減の法則」と呼んでいる。

文章はその音節が文頭から文尾に向かって、あ>え>い>お>う の順序で並ぼうとする傾向がある。この順序は唇の開き具合の大きさの順であり、息(エネルギー)が小さくなってゆく順序です。

この法則は単語を一つ発音するときもこの法則が働いていると考えるべきであり、単語にもエネルギー逓減の法則が働くべきであり、そうなっていないッと言うことは、この「セーコー」等の発音は一時的な退行現象と思われる。

細かことになるが「セ」 と 「セーコー」または「セ」は、後者のほうが多くのエネルギーを消費している。何故なら、「イ」よりも「エ」の方がエネルギーを多く消費しているからです。これは「」と「」にも言える。

 ◇

MyBlogRelatedPage: 日本語はそもそも即自存在・Being-in-itself・先史人用の言語であり、英語・中国語は対自存在・Being-for-itself用の言語である客観的証拠(簡潔で美しい現象)を見つけた! 《2014年5月初旬追加)


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