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言語が視覚面に頼りすぎていると・・・ [ことばと社会]

言語は音声の方が大事。「北京」の読み方であるがもうとうに「ペキン」から「ベイジン」に変わっている。そして世界では「Beijing」と記され、発音されている。これは音声として世界に発信されている。中国の人が南米の遥かな国を旅して「ベイジン」と発音されていることに偉く感激した記事を読

んだことがある。オリンピックの公式ポスターに「Beijing 2008」とちゃんと書かれている。言語が視覚面に頼りすぎていると、世界の時勢についていけないことがあると思う。


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コメント 3

dominique

はじめまして。

あなた突き放したものの言い方をするから
たいていはアタマのおかしい奴の
たわごととしか見られてないんじゃないでしょうか。

でもこのブログ全体で言われていることは、
まったく正しいと思う。
こういうことは、日本の外国語教育の文脈では
まったく無視されているか、気づかれないでいる。

私はアメリカからの「帰国子女」で
長い間フランス語も勉強してるけど、
日本の外国語教育の現場での「音声」の軽視は
ほとんど信じがたいレベルですね。

それもこれも、日本語という(アジアの中でも)特殊な
言語文化以外のものの見方ができなくなってしまっているからでしょう。
言語というものが本来「音声」であり、
音声を介して他人とやりとりするものなんだということを、
本能的に理解していないんだ。
このことは、中国人を含め、アジア諸国の人間はみんなわかっている。

言語をなんでもいったん文字に落としてみないと
理解できないということが、
ものすごいハンデになっている。
それが、外から見ると感情的なコミュニケーションを拒否してるとしか見えないことに、日本人は気づかないんだね。

政治家の言葉の救いがたい貧しさもそれに関係しているし、
日本語の「標準語」という、
書き言葉を律儀に読み上げることが正しいとされる
恐ろしい人工言語も、日本人にとって大きな弊害というか、
自殺行為になっている。

日本人は日本語が世界で一番ニュアンス豊かな
優れた言語だと信じているから、
英語などの外国語を
何か記号のような薄っぺらい道具のように扱う。
カタカナのように英語を読んで、
「文字で書かれているとおりに読んでるんだから
間違ってない。これが日本語訛りの英語だ」
と開き直るんだ。
それが、生身の人間が使う言語というものを
バカにしてるようにしか聞こえないことに気づこうともしない。

外交の場でオフレコで深い話ができる政治家が皆無だというのが、
背筋が寒くなるほどヤバイことなんだと、なぜ問題にならないのか。
日本人が世界の中でほとんど文盲状態に置かれていることに、
なぜ危機感を感じないんだろうか。
それで二言目には「そんなに日本がいやなら出てけ」でしょ。
愛国心がなかったらこんな心配しませんよ。

すいません、ながながと。
by dominique (2008-01-17 02:45) 

さるとる

dominiqueさんへ 「付き果たしたものの言い方」、これはいけませんね、この面をなくしていかなければと感じます、まだ短気で幼児的な面があるのでしょう、これを境に心穏やかになりたいです。これからは準学問的な考察の表現に努めていきます。「言語をなんでもいったん文字に落としてみないと理解できない」、この表現も僕にとって新しい表現でした。ご意見ありがとうございました。
by さるとる (2008-01-17 07:43) 

SPQR

こんにちは。
このblogの過去記事を一通り読みました。

あなたの主張には共感できる部分も多いのですが、
今の日本の現状を喩えるのに"自閉症"という言葉を
ところかしこで使うのは、はっきりいって非常に良くないと思います。
自閉症の方は、自ら望んで自閉症になるわけではないからです。

あくまで喩えだということは理解できるのですが、
今後はせめて、"ひきこもり"等と別の表現をしてもらえないでしょうか。
by SPQR (2008-01-21 21:58) 

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