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ひらがな、カタカナは狭義の意味で「文字」ではない、たんなる「発音記号」である [発音記号]

ひらがな、カタカナは「ことのは(言葉)」ではなくて、「発音記号」である 「あ」は「ア」とだけしか発音しないし、「ア」は「ア」とだけしか発音しない これは「ことば」ではなくて発音『記号』である 機能が違うから「本文」とは一緒コタにできない筈のものである 中国語にしろ英語にしろ「本文」には読み方が当然あるのだが、その読み方(発音記号)を本文に、全部(たとえば日本の幼児の読

本のようにぜんぶひらがなで書くようなこと)、あるいはひらがなやカタカナを一部でも本文に繰り込むようなことは決してしない。

中国語を習うとき発音表記に現代ではアルファベットを使うのが一般的になっているが、アルファベットが使われる前は中国本来の発音表記があった筈である が現代の日本語のように発音記号を本文に組み込んだような書籍や文献を見たことがない 「ことば」とういうものは発達してくると「本文」と「読み方」とに違いが出てくるものなどである そこに「発音記号」というものが生まれて来

るのである そして本文と「発音記号」とは機能が違うから、一緒コタにできない性質のものである それをしてしまったのが日本語なのである 日本人は世界一独特の mentality を持つことになるのである 外国まで行って幾ら勉強しても外国語を習得できない人が多いのも、この mentality が原因の一つである  「ことば」と「発音記号」を混ぜて本文にしていまうことはえげつ

ないことなのである なぜなら「本文」は人目に触れる「外出着」のようなものであり、「発音記号」は「肌着」のようなもので「本文」の裏、向こう側にあるべきものなのである 漢字とひらがな、カタカナ交じりの日本語は、ネグリジェに上っ張りを羽織って外出しているようなものなのである。まぁいっか日本には、だぼシャツ文化というものもあるからと言いながら、ぼくの好きな和歌を二つ:

・しろがねも くがねも玉も なにせむに  まされる宝 子にしかめやも
・東風吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ

たとえば「東風(読み方は、「kochi」)」は「言葉」であるが、その右側に読み方として「こ・ち」あるいは「コ・チ」と振ってしまえば、この「こ」と「ち」あるいは「コ」と「チ」は「発音記号」でしかない 日本語は漢字の視覚面をのみを利用していて 読み方は訓読みか、originality のない「音読み」である この頃の歌には、二番煎じの読み方「音読み」が全然といっていいほどなかったんですよね

複雑というか deteriorate しちゃっていると言うべきか、現代日本語は カタカナ語は止めにしよう!

カタカナ語について感じること その一

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MyBlogRelatedPage: 日本語はそもそも即自存在・Being-in-itself・先史人用の言語であり、英語・中国語は対自存在・Being-for-itself用の言語である客観的証拠(簡潔で美しい現象)を見つけた! (2014年4月追加)

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参考資料 (平成29年11月吉日追加)
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日本語はそもそも即自存在(Being-in-itself)且つ先史人用の言語で、言語の無い処に初めてでき、文字を必要としない音韻のみの開音節言語だったのであり、英語・中国語は開音節言語の中からそれぞれ一つが発展的に生まれて来た閉音節言語であって、対自存在(Being-for-itself)且つ有史(歴史)人用で、必ず文字を伴う閉音節言語である客観的証拠(「一円現象」One-Yen-Coin-Phenomenon)を発見した!// 日本はその言語と近代・現代の生活様態との間に大きな乖離が生じてしまった、世界で唯一言語的に発逹障*気味の特殊な国家/特にソフトウエア中のソフトの政治の世界において/だから日本にだけE=mc^2の実証である原爆が一度に二つも落ちた/それ故平和憲法9条(戦争放棄)と96条(改正手続)は変えてはいけない & My EXISTENTIALISMと実存主義 
    
 

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