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実践 私の実存主義講座 第37回 こういう考え方はいけないのかなぁ [ことばと社会]

日本の他に核兵器が落ちると、日本の希少価値が色々な意味で薄まってしまうと思う。

そう言う意味で、日本も核兵器廃絶条約に加盟した方が良いと思う。

こういう考え方はいけないのかなぁ。

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実践 私の実存主義講座 第36回 心と物の統一場理論はサルトルの実存主義です。 [ことばと社会]

「心」と「物」の統一場理論は、サルトルの「実存主義*」である。

「物」の世界を「AはAである」が通用する「即自存在」の世界とし、哲学者「対自存在」を「AはAであったとしか言えない世界」として、たった薄手の一冊の本に表している。

「即自存在」の世界については、星の数ほどの科学者が、星の数ほどの論文を書いて来た。

サルトルは人類最後の哲学者です。


*サルトル自身による別称「行動の教義」

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今日の同音異義語 テントウの巻 [ことばと社会]

ナニナニ選手は二回転倒してしまいました。

オリンピックの夢は潰えました。

-

てんとう虫のサンバ

^_^



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実践 私の実存主義講座 第35回 言葉の先祖返り [ことばと社会]

未開で言語のないところに最初にできるのが開音節言語であり、それを母胎にしてできるのが有史時代用の閉音節言語である。

而して、横文字(閉音節言語)をカタカナ(開音節言語)に変えることは、言葉の「先祖返り」に等しい。

語は敢えて、横文字をカタカナに変え先祖返りさせて、利用している。

このような言語は、例外中の例外ではなかろうか。

なぜなら日本語は一旦先に身に付けてしまったら、血の出るような努力をしなければ、外国語は身に付かない程の難病言語だからである。

憲法を変えてはいけない。

加憲程度でいい。


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実践 私の実存主義講座 第34回 一円周上を反対回りとはどういうことか [ことばと社会]

私の「一円現象」で円周上を反対回りとはどういうことか。

それは同じ条件下で、あること柄が互いに方向が逆だとか、可能な限り距離が遠いとか、最大限に正反対と言うことだと思う。

円というものはそういうもだと思う、平行線と違って。

開音節言語と閉音節言語の関係は平行線ではなくて、円周上を反対回りに丁度一周して完結する。



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133 日本の国を思うと松下村塾・大和騙しいどころか血の気の多いだけで相変わらず思考の単純野郎女!、コ結構ッコーのニワトリを思い出す/ いまだ人類のスタートラインにも立ってない日本/ 金、金、金・・・身体ばかり使ってないでもっと頭を使え!/ 日本語には人類遺産的なとてつもない**希少価値がある! [ことばと社会]

世界の国々は全て!?閉音節言語を喋っている*のに、開音節言語だけで国家を形成しているのは日本だけ。

いまだに人類の進歩から取り残されている日本!

いまだ人類のスタートラインにも立ってない   

奢るなニッポン!

このことは原子爆弾が一挙に二個も落ちて、日本の国はもう分かってもいい筈なのである。

これは、ペットのニワトリが周りが人間だらけだから自分も人間だと錯覚して、人間の枕の用意された寝床にちゃっかり入り込んでご主人と寝るニワトリを想起させる。

ペリー来航だが、明治維新だろうが、原爆投下によるケロイドの敗北だろうが、日本の国はっすぐ忘れてしまう、何度言っても鳥頭なのである。

それほど開音節言語と閉音節言語とは「即自存在」と「対自存在」程の違いがある。

金(きん)、金、金・・・・、身体だけ使って、一向に頭を使わない日本の国。

もっと頭を使いなさい。

「東」も「南」の英語の頭文字の言えない歌手(成人)が現れた。

戦前もそうだったんだろ?

ご時世が、戦前によく似てきた。

憲法のメインは変えては絶対いけない。

加憲程度でいい。


*日本の国は純粋に開音節言語だけを喋っている。なぜなら子音を表す文字体系がないからである。

アフリカの沢山ある土着の言語は元は開音節言語であったが、入植してきた英語・フランス語のアルファベットの影響を受けて、土着の言語でも子音の発音が混じって行き、厳密な意味で開音節言語から外れて、言語学的には閉音節言語に分類されるようになって行った筈である。

いまでは純粋な開音節言語は殆ど無く、有っても世界の観光客相手に歌って踊って話されいる位であろう。

このことはインド洋諸島・南アジア・東南アジア諸国・ポリネシア・メラネシア・ミクロネシアの土着の言語にも同じことが言えるのではないか。

日本は早くから開音節言語・生活がまだ「未開」に属するの時代に漢字を採用したため(日本語はいまに至るまで土着の言語 - それだから分類的には「即自存在」に属する言語として唯一の世界遺産的にとてつもない希少価値がある)、漢字を利用した利点は大いに有りながらも、いままで閉音節言語に進化できなかった(日本だけ仲間外れの感じ)という感じは否めない)。


**とてつもない = 今の副総理が好きそうな言葉

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132 痴性があってほとんど欲だけで生きている人々/ もり蕎麦・かけ蕎麦問題・テロ等共謀罪法案/ 今の日本の国会 [ことばと社会]

痴性があってほとんど欲(本能)だけで生きている人々

『理性を放棄した人と議論しようとするのは、死者に薬を与えるようなものだ。』

トーマス・ペイン

イギリス系アメリカ人の政治活動家・哲学者・作家

1737 - 1809


'Attempting to debate with a person who has abandoned reason is like giving medicine to the dead.

English-Amerian political activist, philosopher, and auther.

1737 - 1809


* 太字はブログ管理者が施した

*Bold letter is applied by blog manager.

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実践 私の実存主義講座 第32回 サルトルは認識してなかった筈である [ことばと社会]

サルトルは『即自存在』と『対自存在』とが円周上*¹で、互いが反対周りの関係であることを、またそれぞれ日本語と英語の関係に酷似している(そのものである)ことを認識していただろうか。

彼は認識してなかった思う。

と言うのは、宇宙で一番シンプルな図形である「円」と『実存主義』とを関係付ける記述を一切読んだことも聞いたこともがないからである。

日本語については、彼は「日本語」を多少見聞きしていたが、とても内容については知っていたとは思えないからである。


*即自存在=「それがあるところにあるもので、ないところにないもの」

*対自存在=「それがあるところにないもので、ないところにあるもの」

サルトルは、「対自存在」自体は「無」であるといっている。であるから、私は言葉(言語)で中(あた)りだと思っている。

言語(概念)には重さや形がないからである。


円周上*¹ = 一小宇宙 or 大宇宙



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実践 私の実存主義講座 第31回 リスクに賭ける/ これは実存主義的な生き方です [ことばと社会]


『決断する前に、完全にはっきり見通すことにこだわる人は、絶対に決断しない』

アンリ-フレデリック アミエル

スイスの哲学者・詩人・批評家

1821 - 1881


The man who insists upon seeing with perfect clearness before he decides never decides.

Henri-Frederic Amiel
Swiss philosopher, poet and critic
1821 - 1881
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リスクに賭ける、これこそ実存主義的な生き方だと思います。
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次に、サルトルの著書「実存主義はヒューマニズムであるの一部* を掲載する。
 
『しかし、ヒューマニズムには別の意味がある。それは結局こういうことを意味している。すなわち人間はたえず自分自身の外にあり、人間が人間を存在せしめるのは、自分自身を投企し、自分を自分の外に失うことによってである。また一面、人間が存在しうるのは超越的目的を追求することによってである。人間はこの乗り越えであり、この乗り越えに関連してのみ対象を捉えるのであるから、この乗り越えの真中、核心にある。人間的世界、人間的主体性の世界以外に世界はない。人間を形成するものとしての超越と、人間は彼自身の中に閉ざされているのではなく、人間的世界の中に常に現存しているという意味での主体性と、この二つのものの結合こそ、我々が実存主義的ヒューマニズムと呼ぶものなのである』P71・72

私の小さなコメント: 自分を自分の外に失う = リスクに賭けると言うことだと思う。

(おまけ)

・・・・・・・・。実存主義とは、一貫した無神論的立場からあらゆる結果を引きだすための努力にほかならない。この立場はけっして人間を絶望に陥れようとするものではない。しかし、すべて無信仰の態度をキリスト教徒流に絶望と呼ぶなら、この立場は本源的絶望から出発しているのであ

る。実存主義は、神が存在しないことを力のかぎり証明しようとするという意味で無神論なのではなく、むしろ、たとえ神が存在してもなんの変わりもないと明言する。それが我々の観点なのである。神が存在していると信じているのではなく、神の存在の問題が問題なのではないと考えるの

である。人間は自分自身を再発見し、たとえ神の存在の有効な証明であろうとも、何ものも人間を人間自身から救うことはできないと納得しなければならない。この意味で実存主義は楽観論であり、行動の教義である。キリスト教徒が自分自身の絶望とわれわれの絶望とを混同し、われ

われを絶望者と呼ぶのはただ欺瞞によってである』

* この部分は、サルトルが1945年パリのクラブ・マントナンで行った講演のために書かれた論文の最終部分、結論の部分である。(サルトル全集 第十三巻・「実存主義とは何か」・昭和44年6月20日改訂重版発行のP73-74に書かれている/ 発行所:株式会社 人文書院)

実存主義とは何か 実存主義はヒューマニズムである  サルトル全集13

実存主義とは何か 実存主義はヒューマニズムである  サルトル全集13

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  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 1955
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


タグ:アミエル
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実践 私の実存主義講座 第30回 *国の「壱帯壱路」が実現する頃は、ほぼ*国全土に英語が通じる頃である/ どっかの国のようにそれほど無理しなくとも自然にそうなる [ことばと社会]

*国の「壱帯壱路」が実現するのは、ほぼ*国全土に英語が通じる頃と同期する筈である。

それは重度複合障害の難病言語*の日*語のように、半永久的なスパンではない。

中*語と英語は同じ閉音節言語であるから、第二次世界大戦後の今のヨーロッパがそうであったように、そしてこれからの時代の流れはさらに速いだろうから、概ね50年もあれば十分なのではないだろうか。


* 人生の最初に身に付けてしまうと、普通教育では外国語が到底と言って良い程身に付かない、いまどき開音節言語の恐竜のような日*語のこと。

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