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世界初の論文// なぜ主格を表わす節に「が」、場所を表わす文節に「で」が、間接目的格(節)に「に」が、そして直接目的格(節)に「を(お)」の助詞が動詞の現在形の最後の音韻には「う」が使われるのでしょうか [文節の順序]

MyBlogRelatedPage: 日本語はそもそも即自存在・Being-in-itself・先史人用の言語であり、英語・中国語は対自存在・Being-for-itself用の言語である客観的証拠(簡潔で美しい現象)を見つけた! (2014年4月追加)

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なぜ、主格を表わす節に「が」、場所を表わす文節に「で」が、間接目的格に「に」が、そして直接目的格に助詞の「を(お)」が、そして動詞の現在形の最後の音韻には「う」が使われるのでしょうか。

(わ)・で・に・(お)・」の助詞(最後の「う」のみは動詞の現在形で、その最後の音節は「う」で終わっている)は、ちゃんと理由があって使われている。


<分 析>

ⅰ.「は」について

「は」と表記するが、発音は「わ(wa)」と発音する。主格節はこの他「が」があるが、この「が」も、母音「あ」を伴っている。

「わ(wa)」には、「a」が含まれている。平常文の文章は、主格(主語)から始まる。日本語のような開音節言語は、音節が母音のみか、あるいは、子音と母音の抱き合わせの音節で成り立っている。すべての音節が母音で終わるため、文章の構成において、「母音」が重要な役割をしてい

である。文章と言うものを喋るときは、最初は元気がよくてenergetic であるが、文末に近づくにつれてenergy が尻切れとんぼになって行く筈である。であるから、文章を造っている最大単位は文節であるから、文節の最後に付いている「助詞」と、文章の最後の「動詞の現在形」の最後の音

は、次の順序で並んでいる筈という仮説が生まれる。

a → e → i → o → u (この順序に、息《energy》の量が、小さくなって行くのです)

*これを,、擬似Sartre 君は、「言語におけるEnergy逓減の法則」と呼んでいます。
*因みに、「あ・い・う・え・お」は、音の高低順に並んでいます。


ⅱ.「で」について

「で」は、「de」と発音し、場所を表わす「助詞」です。ではなぜ、「e」が付くのでしょうか。「場所」は、「主格」、「目的格」、「動詞」と一緒に並ぶ概念ではありません。

「ぼくは・・」と「主格」を口にすれば、(あなたが)何したの?と「動詞」が連想されます。「ぼくは贈ります」と言えば、「何を・・」と言うことになります。「ぼくは指輪を贈ります」となります。「ぼくは指輪を贈ります」と来れば、「だれに?」と来る筈です。

「どこで」と言うのは、別のsituation であり、必要でない場合もあり、必要がある場合もあります。ですから場所を表わす助詞「で」は、間接目的を表わす助詞「に」、直接目的語を表わす助詞「を」と一緒にすることの出来ない助詞です。別な言い方をすれば、「に」や「を」より動詞から遠くに位

置する筈の「助詞」です。次のような文章になるのです。


ⅲ. 「に」について

「に」は「ni」と発音し、日本語では、間接目的を作ります。日本語で直接目的語の次に「動詞」の近さに位置します。「彼女に婚約指輪を贈ります」のように。英語でも同じです、「(I'll) present an engagement ring to her」のように。


ⅳ. 「を」について

「を」は、「お」と発音されながら、「を」と表記されます。助詞「を」は直接目的語を作り、「動詞」の直前に位置されます。英語の場合は、直後に位置されます。


ⅴ.「う」について

「う」は、動詞の現在形の最終音節に付く母音です。現在形以外は、現在形の派成形ですから現在形が選ばれるのです。同士の現在形の最後の音節は、「う・く・す・つ・ぬ・ふ・む・ゆ・る」のいずれかの音節を取ります。どの音節を取ってみても、母音「u」を持っています。


ここまでのまとめ

日本語のような開音節だけで成り立っている言語は、文節が次の順序で並ぶことになります。


・主格節 + 場所の副詞節 + 間接目的節 + 直接目的節 + 動詞(現在形)

*日本語では、「主語」に一番係わりの強い「動詞」が一番遠いところに位置するという不合理(不条理)が起きる。

主格節は主題ですから、文章の最初に来ます。ですからenergy の一番大きい「あ」の母音で終わっている筈です。主格に一番意味合いの係わりが大きいのは動詞ですが、母音止めの開音節言語では文節の最後に付く「助詞」が持っている母音のenergy の大きい順で物理的に音節が

並んで行くので、動詞の意味合いから一番遠いのは場所の副詞節で、既に主格で使われている「あ」のつぎに、energy 大きい「え」を含んだ助詞「で」が選ばれて、主格の後に位置するのです。英語の場合も、動詞から一番遠い、文章の最後に位置するのです。

直接目的節と間接目的節は、直接目的節のほうが当然動詞にとって意味合いが強いので、直接目的節が動詞のすぐ脇に来ます。間接目的節は場所を表わす副詞節と直接目的節のあいだに位置します。このことは英語と同じです。

 

例 文

・「ぼく 東京ディズニーシー 彼女 婚約指輪 贈りま。」

・「Boku-wa Tokyo Disney Sea-de kanojo-ni kon'yaku-yubiwa-o okurimasu

英 文:(中国語もほとんど同じ筈です)

・'I will present an engagement ring to her at Tokyo Disney Sea.'

・主格節 + 動詞 + 直接目的節 + 間接目的節 + 場所を表わす文節

(最近では英語はさらに進んで、'I will present her an engagement ring at Tokyo Disney Sea.' という構文になってしまった)

* 'I' と 'to' と固有名詞を除いて、すべてが子音で終わっているところが、日本語と違うところである。こうなるともう「文章におけるエネルギー逓減の法則」が働く必要がなく、重力の影響を受けない「意味合いの強い順」に並ぶようになる。

日本語が「音韻のエネルギーの量」という「物理的な量の順序」で、問答無用に?鉈(なた)で文節を切って行のと違って、英語は「意味(idea)合い」の強さによって文節の順序が並んで行くのです。

鉈で文節をぶつぶつ区切っていくようだから、意味合いでは「不条理」な言語になっているのです。まさに日本語は、「無理が通れば、道理引っ込む」の言語であることが分ります。


① 「ぼくは」と来れば、「あなたがどうしたの?」と聞かれるように、動詞が来ることが予想されるが、日本語文においては文節を順序立てているのは文節の最後の助詞の母音だから、あるいは動詞の場合は現在形の最後の音節の母音が決め手となります。動詞の現在形は「u」で終わり、

5つの母音のうち一番energy が一番小さいから、動詞は最後に位置するのです。日本文も英文も動詞が、磁石のようにその動詞にとって意味合いのより強い順から文節を引きつけて行くのです。

② 主格を除いて、動詞に最も意味合いが深いのは直接目的語です。ですから直接目的語は日本文において動詞の直前に位置しているのです。つぎに動詞に意味合いが強いのは間接目的語であるから、さらにその動詞から遠い左側に位置しているのです。そして「場所を表わす助詞」は

動詞から一番遠い主語の後(の右側)に来ているのです。


(まとめ)

は>a⑤ → で>e④ → に>i③ → を>o② → う>u①

① は、動詞です。

② は、直接目的語です。

③ は、間接目的語です。

④ は、場所を示す副詞節です。

⑤ は、主格となります。


仮 説

「は(わ)・で・に・を(お)・う」は、もちろん大和言葉の助詞、動詞の現在形を抜き出したものです。最近、英語も50音節言語であったことがわかり始めたのです。英語もそのroot は古代希臘語(Greek)にたどり着くのです。古代希臘語を記録するのに、線文字Bが使われていたのです。線

文字Bは、子音が一切ない母音止めの開音節を表わす文字の一群で、日本の「あいうえお」とほぼそっくりなのです。前期古代希臘語も子音のない開音節言語だったに違いありません。

中国語も、最初から今のような閉音節で、高度な視覚言語ではなかったはずである。その前に母音止めの開音節言語の時代があった筈である。そして「助詞」に相当するものがあったに違いない筈である。

古代希臘語にしろ先史時代の中国語にしろ、それぞれ独自の「助詞」があったはずであり、文章を構成している文節の「助詞」の母音を並べてみると、a(主格) - e(場所) - i(間接目的語) - o(直接目的語) - u(動詞の現在形) の順序になっていたに違いないのである。
 

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運転手兼Bus guide の聞きにくい英語によると、Isaac Newton だったと思う In Toronto, Canada, in May 2007
Canada 2007 May 176 2.JPG

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参考資料 (平成29年10月吉日追加)
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日本語はそもそも即自存在(Being-in-itself)且つ先史人用の言語で、言語の無い処に初めてでき、文字を必要としない音韻のみの開音節言語だったのであり、英語・中国語は開音節言語の中からそれぞれ一つが発展的に生まれて来た閉音節言語であって、対自存在(Being-for-itself)且つ有史(歴史)人用で、必ず文字を伴う閉音節言語である客観的証拠(「一円現象」One-Yen-Coin-Phenomenon)を発見した!// 日本はその言語と近代・現代の生活様態との間に大きな乖離が生じてしまった、世界で唯一言語的に発逹障*気味の特殊な国家/特にソフトウエア中のソフトの政治の世界において/だから日本にだけE=mc^2の実証である原爆が一度に二つも落ちた/それ故平和憲法9条(戦争放棄)と96条(改正手続)は変えてはいけない & My EXISTENTIALISMと実存主義 
    
 

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