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実践 私の実存主義講座 第59回 日本の国は米国とのみ一番上手く行く/ Japan should think that she goes best only with the United States of America. [実存主義]

日本の国は何事も、米国とのみ一番上手く行く筈である。


プラスとマイナスが合流するとエネルギーが生じて電流が流れ、何か仕事ができる様に、日本とアメリカは世界平和のため、一番効率の良い仕事をする筈である。

それは「一円現象」を見れば解る。
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電流のプラスとマイナスが一円周上を反対周りに進むように、日本語文と英語文は主語を起点に、一円周上を互いに反対周り(方向)に進み、丁度一周して終わります。
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Japan should think that she goes best only with the United States of America.
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It is understandable if you see the 'One-En-Phenomenon.'
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This is not 'One-En-Phenomenon.'/ これは「一円現象」ではありません
MVC-057S.JPG
参考文献: 
 

主要メディアが伝えない記事 04 トーナメントに参加してます。



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実践 私の実存主義講座 第58回 人間の言動は全て自然現象です/ All of human's words and behaviors are supposed to be natural phenomenons. [実存主義]

人間の言動は全て自然現象である。

哲学も宗教学も、最終的に行き着く処はここの筈である。


All of human's words and behaviors are supposed to be natural phenomenon. 

It is where philosophy and science of religion finally reach to.

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実践 私の実存主義講座 第54回 日本の国は民族に一度の言語改革をしないかぎり国連の敵国条項から外れることはありません [実存主義]

日本の国は、民族に一度の言語改革をしないかぎり、唯一国連の敵国条項から外されることはありません。

人間の一言一句、一挙手一投足はもとより、全ての言動は自然現象の筈である。
日本語の音韻面は今に至るまで、言語の無い所に初めてできる、未開用で即自存在用の開音節言語のままに、止まっており、その大欠陥を既に閉音節言語であり「対自存在」用の中国語の視覚面である漢字が、補って余りあるのです。
日本語は漢字、カタカナ、ひらがなと表記方が三通りもあり、それが混ざって使われる、世にも稀な、重度複合障害言語なのです。
日本の国は、民族に一度言語改革、開音節言語から閉音節言語への改革がなされてないのです。
この日本人の人類進化上の停滞が、人類の新しい可能性(核力を利用したエネルギー・原爆はそのひとつ)と必然的に結び付いたのが、広島・長崎の被爆です。
日本の国は戦後72年間、民族に一度の言語改革を全く避けて来ました。
それでは国際社会では肩身が非常に狭いものだから、何としても日本の国を戦争のできる国にし、若者を貢ぎものにしたくてしょうがないのです
コンピュータはプログラム「言語」で働きます。
普通、言葉が先にあり、経済は後なのです。
日本の国は、開音節言語に決別して閉音節言語を確実なものしないかぎり、国連の敵国条項から外されることはない筈です。
日本の国は、今の平和憲法を変えるべきではありません。

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実践 私の実存主義講座 第53回 すべて自然現象である [実存主義]

人間の一言一句、一挙手一投足は、全て自然現象である

我がアベベ主将の一言一句も、色々な評価は別として自然現象の筈である

カール・セーガン氏がが言った言葉を思い出した、

人間の遺伝子も、花の遺伝子も構造は同じあるようなことを。

タグ:自然現象
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「諸行無常」とは、実存主義で言うと・・・ [実存主義]

「対自存在」の世界においては、「『AはAであった』としか言えない」ということであると思う。

実存主義は、全てをカバーする!?

ここでは、ただそれだけ。

 MyBlogRelatedPage: 日本語はそもそも即自存在・Being-in-itself・先史人用の言語であり、英語・中国語は対自存在・Being-for-itself用の言語である客観的証拠(簡潔で美しい現象)を見つけた!(2014年4月追加)


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ふと考えた、対自存在である「意識」はサルトルが説明した以外に、「言葉(言語)」を理解する、と説明すれば「動物」などは含まれないことになり、解り易くなりはしないだろうか [実存主義]

ふと考えた、サルトルが説明した* 以外に、対自存在である『「意識」は言葉(言語のこと)を理解する』、と説明を加えれば、動物などは含まれないことになり、解り易くなると思うが、いかがなものだろうか。

* サルトルは、「意識」とは次のようなものであると言っている。

・ 「意識」そのもの自体は「無」である。

・ 「意識」は自己を超越したものを志向する。

・ 「意識」は他の存在(即自存在のことだと思う ‐ ブログ管理者)と同列に並べることは出来ない。

・ 「意識」は指向性を持っている、など。

 ◇

MyBlogRelatedPage: 日本語はそもそも即自存在・Being-in-itself・先史人用の言語であり、英語・中国語は対自存在・Being-for-itself用の言語である客観的証拠(簡潔で美しい現象)を見つけた! (2014年11月追加)


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人間が死ぬということは・・・ / 人間万歳! [実存主義]

人間が死ぬということは「意識」という「対自存在」から、そのものだけで存在できる「即自存在」物に戻ることである。

「意識」の存在である人間が出来ることは地球の改造程度で、とても宇宙は変えられない。

宇宙はビッグバンから生まれ、そしてビッグバン以前の針の頭ほどの極小宇宙に戻るらしい。

人間のほかに「意識」を持ったものがこの宇宙に居たとしても、その「意識」の存在は宇宙を変えるでもなく、それどころかこの宇宙にいささかも影響を与えるものではなく、無きに等しい。

だからこそ「意識」の存在である人間の存在、生命の存在はこの宇宙にとって奇跡なのかも知れない。

男と女が交わることは、人間の営みの中で最も美しいものの一つではないだろうか。

それは宇宙が一つのもから陰陽の二つなどに分離し、そしてまた元の本源的な唯一のものへお互いに回帰しようとする姿ではなかろうか。

男と女の関係でお互いに協力し、愛し合うということは、もっとも美しいことではないだろうか。

だからこそその行為によってのみ新しい生命が生まれ、生命が継続されるようになっているのだと思う。

人間万歳!

 ◇

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この宇宙は現在は人間という「対自存在」物がいるが、結局最後は生命の全くいない「即自存在」物だけとなって‐ビッグバンの逆の工程を経て‐終るのか [実存主義]

この宇宙は少なくとも現在は人間という「対自存在」物がいるが、結局最後はビッグバンの逆の工程を辿って、生命の全くいない「即自存在」物だけの世界となり、最後は針の先ぐらいの点になって終るのだろうか。

実存主義を宇宙に当て嵌めるなど、僕の観念の世界は広いと言えるだろうか。

 ◇

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サルトル VS アラン!?/ 『行動の教義』と『悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意思のものである』*/ 『人身事故をゼロに!』を願って*** [実存主義]

兼ねてからサルトルがアランを意識して述べていると思われる箇所を掲げてみる。

それは彼の書籍、「実存主義とは何か」の最終部分**である。

その前に、両者の代表的な言葉を掲げてみる。私自身はサルトルの実存主義の良き理解者だと思っているので、サルトルを先に掲げさせて貰うことを、お許しください。

サルトル: 『実存は本質に先立ち、本質を創る』、『実存主義は楽観論であり、行動の教義である』

アラン: 『悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意思によるものである』*

これらに対する私のコメント:

両者の上の発言は、両方とも正しいと思う。人間は遅かれ早かれ一度は「絶望」に突き当たるものだが、その対処の仕方は、サルトルの方が本質的と思われる。

(このアランの言葉の正しさを、客観的な証拠と思われるものを挙げて述べたいと思うが、いま文面を構想中なので、ここではご容赦ください。)

* 二通りの訳があるようだが原著はフランス語の書かれた筈で、いずれにしても類人猿くん僕には分からない筈である。

『実存主義とは何か』の最終部分**

  『以上いくつかの考察によって、われわれになされる反駁ほど不当なものはないことがわかる。実存主義とは、一貫した無神論的立場からあらゆる結果を引き出すための努力にほかならない。この立場は決して人間を絶望に陥れようとするものではない。しかし、すべて無信仰の態度をキリ

スト徒流に絶望と呼ぶなら、この立場は本源的に絶望から出発しているのである。実存主義は、神が存在しないことを力のかぎり証明しようとするという意味で無神論なのではなく、むしろ、たとえ神が存在しても何の変わりもないと明言する。それがわれわれの観点なのでる。神が存

在すると信じているのではなく、神の存在の問題が問題でないと考えるのである。人間は自分自身を再発見し、たとえ神の存在の有効な証明であろうとも、何物も人間を人間自身から救うことは出来ないと納得しなければならない。この意味で実存主義は楽観論であり、行動の教義である。

リスト教徒が自分自身の絶望とわれわれの絶望とを混同し、われわれを絶望者と呼ぶのはただ欺瞞によってである』 (下線は類人猿くんが付加)

** サルトル全集 第十三巻 「実存主義とは何か 副題:実存主義はヒューマニズムである」p76 - 77

***2015年10月追加

(参 考)

 サルトル: 1905 - 1980  フランスの哲学者

 アラン: 1868 - 1951  フランスの哲学者

サルトル全集〈第13巻〉実存主義とは何か (1955年)

サルトル全集〈第13巻〉実存主義とは何か (1955年)

  • 作者: ジャン=ポール・サルトル
  • 出版社/メーカー: 人文書院
  • 発売日: 1955/07/30
  • メディア: 単行本

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§ 今日のニュース(2011/09/19[Wed]) 

・野田首相が初の外遊で、ニューヨークへ、今回は「顔合わせ」程度で、同盟深化の目標は確認はするが、普天間の飛行場の移設やTPPの交渉参加など個別の問題については突っ込んだ話ないとみられる、とのこと。

類人猿くんからのコメント:

・米側では、日本側が偏らずにいろんなチャンネルを通して、問題が煮詰まって来るのを静観する気持ちもあるのではないか。首相が毎年替わり、参勤交代ではなくて、一勤交代とも云えそうである。米国は表面ではニコニコしているが、こういう無駄を非常に嫌う国でもある。さて、野田総理

には持ちしてもらいたいものです。

Sankin kotai.jpg

▲江戸時代の参勤交代

  ◇

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