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72 人間関係はすべて相克に終わる/ All kinds of human relation end up in conflict!?(J.P.Sartre) [サルトル]

『人間関係はすべて相克に終わる』(サルトル)。

家族は助け合わなければ(仲良くしなければ)ならないなど、

個人の内心の自由を奪うような規定を憲法に設けてはいけない。

その美辞麗句を良いことに偽善が蔓延し、親兄弟姉妹関係を利用して欺瞞を助長させる陰湿陰険な者と国家が必ず現れて来る。
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△これは「一円現象」ではありません


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ジャン・ポール・サルトルは極端な斜視だったけど性格が良くて生涯すねたりひねくれることもなく、とても優しい人だったに違いない [サルトル]

彼は若いとき、自分と同じくらいの歳でとても好きな少女に愛を告白したところ、片目が極端な斜視のサルトルを見て、その少女はサルトルを化け物を見るような目で観、逃げるようにして嫌われたという。

このときのサルトルは相当ショックだったらしく、このショックが彼の生涯を通して影を残していたようである。

彼は、自分が普通の恋愛が叶わぬことを自覚していた。

のちに、彼は哲学者でもあるボーボワールという実存主義の良き理解者とパートナーになる。

しかし、彼は世をすねたり、ひねくれたりしたところが全然なく、人間社会や物の世界をずっと冷徹な目で観ていたに違いない。

性格がひねくれてないから物事をバイアスを掛けて観ることがなく、物事の本質を観ることに長けていた。

それから、彼は根っから心の優しい人あったことが思いやられ、実存主義*の哲学の集大成、「実存主義とは何か」を書き上げている。

日本語訳では、解かりやすくするために、「実存主義はヒューマニズムである」という副題が付けられている。

当然、著作の中にも「ヒューマニズム」という言葉か出て来る。

* 著作「実存主義とは何か」の中で彼は、「実存主義は楽観論であり、行動の教義である」と言っている。

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実存主義とは何か

実存主義とは何か

  • 作者: J‐P・サルトル
  • 出版社/メーカー: 人文書院
  • 発売日: 1996/02
  • メディア: 単行本

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MyBlogRelatedPage: 日本語はそもそも即自存在・Being-in-itself・先史人用の言語であり、英語・中国語は対自存在・Being-for-itself用の言語である客観的証拠(簡潔で美しい現象)を見つけた! (2014年3月追加)


参考資料 (平成29年10月吉日追加)
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日本語はそもそも即自存在(Being-in-itself)且つ先史人用の言語で、言語の無い処に初めてでき、文字を必要としない音韻のみの開音節言語だったのであり、英語・中国語は開音節言語の中からそれぞれ一つが発展的に生まれて来た閉音節言語であって、対自存在(Being-for-itself)且つ有史(歴史)人用で、必ず文字を伴う閉音節言語である客観的証拠(「一円現象」One-Yen-Coin-Phenomenon)を発見した!// 日本はその言語と近代・現代の生活様態との間に大きな乖離が生じてしまった、世界で唯一言語的に発逹障*気味の特殊な国家/特にソフトウエア中のソフトの政治の世界において/だから日本にだけE=mc^2の実証である原爆が一度に二つも落ちた/それ故平和憲法9条(戦争放棄)と96条(改正手続)は変えてはいけない & My EXISTENTIALISMと実存主義 
    
 

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米国は粘着的な性格を嫌う国のようだ。サルトルも粘着的なものを非常に嫌った。その粘着性が対象にしたものの主体性を奪うからであろう/ 主体性の哲学「実存主義」/ 東洋の妖精/ サルトルと米国と日本/ サルトルは美人に目がなかった!? [サルトル]

米国は粘着的な性格を嫌う国のようだ。サルトル粘着性を非常に嫌った。あの国の政治家はぶらさがりも、すがりつきも嫌う性格に見える。

この点でサルトルと米国は合い通じるところがあると思う。

米国は一つのことに拘泥はしない、常に新しいものを求めているようである。

サルトルは米国へ行ったことがあるが、日本には来たことがない!?。フランスへ行った!?加賀まり子とは会っている。(以前加賀まり子がサルトルと彼女とが一緒に写っている写真をスタジオパークか何かで披露したことがある。サルトルは片方が極度の斜視で、その写真ではその目

が写らないようなカメラアングルで撮られていた。ボーボワールも一緒の写っていたと思う)

サルトルが日本に来て日本語に触れそして日本語の音韻、文法、言葉と発音記号が混じったことなどを知ったなら、サルトルは腰を抜かすほど*びっくりしたに違いない。

* 「意識は他の存在と同列に並べられる存在ではない。意識は自己を超越したものを思考する」とサルトルは言っている。洞察力の鋭いサルトルなら、「ことば」と「発音記号」は同列に並べられないことに当然気づくに違いない。(下線はブログ管理者が付記)

実存主義の哲学ではこの宇宙の存在物を二つの存在に分けている。「即自存在」と「対自存在」である。

即自存在」とはそれだけで存在できるものて、石ころとか富士山とか素粒子とかである。「対自存在」とは自分自身を意識したり、自分の外にあるものを意識したりするものであり、今のところ人間だけのようである。

サルトルは「意識(対自存在)は他のもの(即自存在)と同列に並べられ存在ではない」と「意識」と「他のもの」を峻別している。

言葉(word)と発音記号(key)であるカタカナが混在した日本語文は、繊細なサルトルには言語としてとても認められないほどの非常な違和感を与えるに違いなかったのではと思うのである。


Jean-Paul Sartre (1905 -1980)
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恋のフーガ
作詞 なかにし礼
作曲 すぎやまこういち
唄 ザ・ピーナッツ

追いかけて 追いかけて
すがりつきたいの
あの人が消えてゆく 雨の曲がり角
幸せも 想い出も 水に流したの
小窓打つ雨の音 ほほぬらす涙
初めから 結ばれない
約束の あなたと私
つかのまの たわむれと
みんなあきらめて
泣きながら はずしたの
真珠の指輪を

初めから 結ばれない
約束の あなたと私
帰らない面影を 胸に抱きしめて
くちづけを してみたの
雨のガラス窓
ドゥドゥビドゥバ
ドゥドゥドゥビドゥバ
パヤパヤパヤ

  ◇

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民主党さん、出っ歯と扁平な顔立ちだけは選ぶなよ。それだけでも大きな前進である/ 首相の全存在は人類の未来を暗示・志向するもの/ これも唯一日本語が特殊な為だから・貴方の為だからドットコム/ 民主党さん初心を忘れずに!/ だから野*財務大臣だけは総理に選ぶなよな(追記) [サルトル]

あれほど約束したのに5月までの約束を反故にされちゃった。鳩山君はもう殆どの国民と世界から信用されないよ。「Trust me.」と言う書簡を送られてきた国の政府高官の「鳩山氏は移り気な人に違いない」と言う見方は当たっていた。

これから民主党はどう転んでいくか分らないところがあるが、今後の宰相には自由民主党がして来たように出っ歯のっぺらぼう気味の扁平な顔立ちは選ぶなよ。それだけでも民主党はかなりの前進だと思う。

「人間は自分を選ぶことによって世界を選ぶ*」ことになるのだと思う。

国家元首は一国民より責任がずっと加重されているはずだから、総裁選に立候補すると言うことは自分を選ぶことであり、首相になると言うことは自分の全存在が日本の、世界の、人類の前途を暗示するものでなければならない。

日本人に出っ歯が多いのは母音止めの開音節言語で中国語や英語などの閉音節言語より、歯茎の裏を衝いて口蓋に勢い良くあたる暖かい息の量がずっと多い。朝目が覚めたときから夜就寝するまで一年365日日本人はこう言う日本語だけを喋っているのである。

中国語や英語はもう紀元前のずっと前から開音節言語から閉音節言語に変わっちゃっている。

フランス語には「は行」が無く、他のヨーロッパ言語と同様に子音が多いため口蓋の外に漏れる息が他の言語より少なく、口腔内の空気も鼻に流れるので、鼻が大きく口蓋が湾のように凹みがちになって来たと思われる。

日本人に出っ歯系が多いのは、こういう日本語を永く話しているから口蓋が中々凹まないためであると思われる。

また余りにも多くて無視できない同音異義語とか、漢字** という「言葉」と「ひらがな(カタカナ)」*** が混在した日本語は人間の表情を貧しくする筈であり、「表情が貧しくなる」ということは絵画のキャンバスに例えればより小さいキャンバスで済み、より少

ない色合いで済むことである。コンピュータの「動画」で言えば、少ない記憶容量(バイト)で済むということである。

日本人に扁平な顔立ちが多いのは、日本語の同音異義語の多さと「言葉」と「発音記号」が同居しちゃった日本語文の所為(せい)であると考える。

日本人は現在使われているような日本語を話すようになって、出っ歯系でそして扁平な顔立ちなって来たと思われるのである。

このような顔立ちは、人類の進化と逆行しているとしか思えない。

であるから、このような顔立ちの者は人類の将来を暗示する国を代表する地位には向いてないと考える。

追記(2010/10/23)

だから、野*財務大臣だけは総理に選ぶなよな。自民党と同じ道を歩むことになるよ。言っとくけど、選んでも短期に終っちゃう筈である。

のっぺらぼう
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* 「実存主義とは何か」の中のサルトルの言葉

** 「漢字は言葉である」:発音を表わす発音表記は別にあるから、「漢字」は「言葉」であることが判る。

*** ひらがな(カタカナ)は「ひ」は「ヒ」としか読まないから、「タ」は「た」としか読まず、またそれぞれ「意味」がないからこれは「発音記号」なのである。日本人は「言葉」と発音記号の区別も付かない人が多い。こういう国は世界から見ると非常に「危なっかしい」国なのである。

第37代(通算)日本国内閣総理大臣/ 岸信介/ 在任期間1241日
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第42代(通算)日本国内閣総理大臣/ 福田赳夫(父)/ 在任期間714日
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第58代(通算)日本国内閣総理大臣/ 福田康夫(上の子)/ 在任期間365日/ 出っ歯系は遺伝する

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第59代(通算)日本国内閣総理大臣/ 麻生一郎/ 在任期間358日
 

衆議院議員・民主党(与党)幹事長/ 小沢太郎 

手前味噌的文献:

MyBlogRelatedPage: 日本語はそもそも即自存在・Being-in-itself・先史人用の言語であり、英語・中国語は対自存在・Being-for-itself用の言語である客観的証拠(簡潔で美しい現象 - 「正円現象」または「一円現象」とも言う)を見つけた!

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実存主義とは何か

実存主義とは何か

  • 作者: J‐P・サルトル
  • 出版社/メーカー: 人文書院
  • 発売日: 1996/02
  • メディア: 単行本



サルトル全集〈第13巻〉実存主義とは何か (1955年)

サルトル全集〈第13巻〉実存主義とは何か (1955年)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 人文書院
  • 発売日: 1955
  • メディア: -



実存主義とは何か―人間存在の根源をさぐる (1975年)

実存主義とは何か―人間存在の根源をさぐる (1975年)

  • 作者: ウィリアム・バレット
  • 出版社/メーカー: サイマル出版会
  • 発売日: 1975
  • メディア: -



実存主義とは何か―実存主義はヒューマニズムである (1982年)

実存主義とは何か―実存主義はヒューマニズムである (1982年)

  • 作者: サルトル
  • 出版社/メーカー: 日本点字図書館
  • 発売日: 1982/12
  • メディア: -

民主党さん、出っ歯と扁平な顔立ちだけは選ぶなよ。それだけでも大きな前進である/ 首相の全存在は人類の未来を暗示・志向するもの/ これも唯一日本語が特殊な為だから・貴方の為だからドットコム/ 民主党さん初心を忘れずに!/ だから野*財務大臣だけは総理に選ぶなよな(追記)

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「対自存在」の自分は死を迎えることによって「灰」という「即自存在」になる/ 深夜に心をよぎること [サルトル]

今までの自分の人間関係を思い出すと、自分は死ぬとどこへ行くのだろうかと思う。生前中のような人間関係が良しにつけ悪しきにつけ続くのかと思う。そこでサルトルの「実存主義」の哲学がしつこく心に浮かぶ。

「対自存在」というものはそれ自体では存在しえない「意識」の存在であり、「意識」は何物かについての意識であって重さも形もないくそれ自体は「無」であるが、その「意識」を包んでいる(維持している)肉体を含めて人間は「対自存在」として存在する。

人間は死を迎えることによって「対自存在」からそのもの自体で存在しうる「即自存在」となる。と理解していながら、やはり自分が意識を永久に失い、無となることは今寂しいことであると思う。

日本では欧米その外の国ほど「実存主義」に親しみがないのは、埋葬方式の違いにもあるのではないでしょうか。つまり土葬の方が死後の遺体が半ミイラ化したり、虫食ったり、白骨化したりでしばらくその姿がある程度原形を留めているが、日本の火葬の場合は残るものは僅かな灰とな

ってしまって肉体と魂が何処かへ旅立ってしまったのではかと考え易いのではないか。サルトルは「魂は天国へ召された」とは考えず、冷徹な哲学者の目で、人間の「意識」は無となりその肉体は「即自存在」物に変わっただけと考えたに違いない。

普段考えないことを考えてしまって今日一日、事*事*に遭わないように充分注意しようと思う。


サルトル全集 第13巻 改訂版

サルトル全集 第13巻 改訂版

  • 作者: ジャン・ポール・サルトル
  • 出版社/メーカー: 人文書院
  • 発売日: 1987/05
  • メディア: 単行本

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付録

手前味噌的?小論文

参考資料 MyBlogRelatedPage: 平和憲法9条と96条は変えてはいけない/日本語はそもそも即自存在・Being-in-itself・先史人用の言語であり、英語・中国語は対自存在・Being-for-itself用の言語である客観的証拠(簡潔で美しい現象)を見つけた! (2015年4月追加)


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サルトルが呉れた英知の言葉/ *国は一番孤独な筈である・東洋で一番の同盟国なのになぜそれを理解してあげぬ? [サルトル]

「もし一方において神が存在しないとすれば、我々は自分の行いを正当化する『価値』や『命令』を眼前に見出すことはできない。こうして我々は、我々の背後にもまた前方にも、明白な価値の領域に、正当化のための理由も逃げ口上も持ってはいないのである。我々は逃げ口上もなく孤独である。」

- by Jean Paul Sartre


* 二重かぎ括弧は類人猿くんが挿入。「神風」といって自己の行為を正当化したのはどこの国だろう。誰かの「命令」だとか「教え」に反するから、聖*といって自爆テロを正当化しているのは誰だろう?「神風特*隊」の一言で、当時の組織がいかに無責任体質であったことが分る。


Jean Paul Sartre (1905 - 1980)

「実存(存在)は本質に先立ち、本質を創る」という実存主義(存在[existence] 主義)の哲学の完成者。サルトルは、欲のないcool な眼で物質の世界を、humanism の心で人間社会を見詰めた哲学者だったと思います。。



*  ジャン=ポール・サルトル - Wikipedia (Copy して検索にお貼りください)
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付録

手前味噌的?小論文

参考資料 MyBlogRelatedPage: 平和憲法9条と96条は変えてはいけない/日本語はそもそも即自存在・Being-in-itself・先史人用の言語であり、英語・中国語は対自存在・Being-for-itself用の言語である客観的証拠(簡潔で美しい現象)を見つけた! ((2015年4月追加)


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またあのサルトルかぶれが!/ サルトル哲学は現代社会も貫いている!? [サルトル]

世界の臓器移植の基準は、提供者の脳死が前提のようです。人間が脳波を出さなくなると言うことは、認識、意識、思考がなくなるということからではないでしょうか。

一方、この世(宇宙)にある存在を、「意識」あるものと意識のないものと二つに分けた哲学者がいます。サルトルです。彼は意識のない存在を「即自存在」として、意識のある存在を「対自存在」として捉え、「対自存在」として人間を指しているようです。

ところで、上に言う「脳波」と「意識」とは同じ事象のことを問題にしていると思う。世界の趨勢とサルトルの考察は偶然の一致でしょうか、と思うのです。



臓器移植は生命倫理にかかわることで、いろいろな考え方があり得るかと思いす。類人猿くんの認識不足もあるかも知れませんので、ここではこれ関してこれ以上言及するつもりはありません。



サルトルの言葉

[ダイヤ]「即自存在」 = それ自身で存在できるもの。椅子とか石ころなど。「それがあるところにあるもので、それがあらぬところにあらぬもの」(なにか禅問答みたいですがそうではありません-類人猿くん[わーい(嬉しい顔)]
[ダイヤ]「対自存在」 = 「意識」。「意識は常に何物かについての意識である」「意識は他の存在と同列に並ぶ存在ではない、意識は自己を超越したものを志向する」「それがあるところにないもので、それがあらぬところにあるもの」
[ダイヤ]意識自体は《重さも形もなく》「無」である《が、それを内包している人間は存在する》《括弧書きは類人猿くんが推測し、付け足したもの》。人間は死を迎えることによって即自存在となる。
[ダイヤ]人間は自分の意思で生まれてきた訳でもないのに自由である、選択する自由がある。そして選択した結果に責任を持たなければならない。それをわたくしは、『人間は自由という刑に処せられてる』と表現したい。
[ダイヤ]いかなる人間でも生きながら神格化されるには値しない(Nobel 文学賞辞退の大きな理由/ 当時は相当な変わり者に看られていたのでは。サルトルは欲を殺した眼で物事を考察して行ったようです-類人猿くん言)。

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英語と実存主義との関わりについて/ 「AはAであったとしか言えない」について [サルトル]

実存主義では「AはAである」と言えるのは「即自存在」(石ころ、椅子、原子などの物質の世界)においてであり、「対自存在」(意識、心の世界)においては、「AはAであったとしか言えない」と説きます。

意識は言葉でなされるから、「意識」の世界とは「言葉」の世界です。「言葉」の世界でも、「AはAであったとしか言えない」の法則が働いてるとわたしは考えます。

英語や仏蘭西語では読み方がいろいろです。英語に至っては「このような場合はこう読む」というあきらかな規則性がありません(この意味で英語は、とても「自由」な言語* なのです)。


例えば

foreign; eight; seizure; weird

child; Chicago

corps; corpse


など、読み方はまちまちです。なのに私たちが英語をすらすら読めるようになるのは何故でしょうか。そこにはサルトルの実存主義の哲学と関係があります。

私たちが紙に書き留めた文字は、書き留めたそばから「過去のもの」になってしまいます。そして過去のものに拘泥している必要はないのです。いや過去に拘るべきではないのです。意識の世界はどんどん変わって行きます。意識(言葉)の世界では、「AはAである」と主張するのは筋ではな

いのです。読み方については、過去のものになってしまった綴り通りに読む必要は全然ないのです。

英語には、「このように文字が並んだときはこう読む」という規則化、定型化した読み方はないのです。英語はそれを非常に嫌います。英語は、サルトルの実存主義「AはAであったとしか云えない」という哲学に適った言語なのです。


* 自由な言語: 英語には読み方を裁定をする機関がありません。読み方が定着するのは、英語を喋る人たちの最大公約数的な読み方です。ですから読み方は綴りに関係なく時代と共に変わって行きます。


Jean-Paul Sartre
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