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実践 私の実存主義講座 第31回 リスクに賭ける/ これは実存主義的な生き方です [ことばと社会]


『決断する前に、完全にはっきり見通すことにこだわる人は、絶対に決断しない』

アンリ-フレデリック アミエル

スイスの哲学者・詩人・批評家

1821 - 1881


The man who insists upon seeing with perfect clearness before he decides never decides.

Henri-Frederic Amiel
Swiss philosopher, poet and critic
1821 - 1881
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リスクに賭ける、これこそ実存主義的な生き方だと思います。
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次に、サルトルの著書「実存主義はヒューマニズムであるの一部* を掲載する。
 
『しかし、ヒューマニズムには別の意味がある。それは結局こういうことを意味している。すなわち人間はたえず自分自身の外にあり、人間が人間を存在せしめるのは、自分自身を投企し、自分を自分の外に失うことによってである。また一面、人間が存在しうるのは超越的目的を追求することによってである。人間はこの乗り越えであり、この乗り越えに関連してのみ対象を捉えるのであるから、この乗り越えの真中、核心にある。人間的世界、人間的主体性の世界以外に世界はない。人間を形成するものとしての超越と、人間は彼自身の中に閉ざされているのではなく、人間的世界の中に常に現存しているという意味での主体性と、この二つのものの結合こそ、我々が実存主義的ヒューマニズムと呼ぶものなのである』P71・72

私の小さなコメント: 自分を自分の外に失う = リスクに賭けると言うことだと思う。

(おまけ)

・・・・・・・・。実存主義とは、一貫した無神論的立場からあらゆる結果を引きだすための努力にほかならない。この立場はけっして人間を絶望に陥れようとするものではない。しかし、すべて無信仰の態度をキリスト教徒流に絶望と呼ぶなら、この立場は本源的絶望から出発しているのであ

る。実存主義は、神が存在しないことを力のかぎり証明しようとするという意味で無神論なのではなく、むしろ、たとえ神が存在してもなんの変わりもないと明言する。それが我々の観点なのである。神が存在していると信じているのではなく、神の存在の問題が問題なのではないと考えるの

である。人間は自分自身を再発見し、たとえ神の存在の有効な証明であろうとも、何ものも人間を人間自身から救うことはできないと納得しなければならない。この意味で実存主義は楽観論であり、行動の教義である。キリスト教徒が自分自身の絶望とわれわれの絶望とを混同し、われ

われを絶望者と呼ぶのはただ欺瞞によってである』

* この部分は、サルトルが1945年パリのクラブ・マントナンで行った講演のために書かれた論文の最終部分、結論の部分である。(サルトル全集 第十三巻・「実存主義とは何か」・昭和44年6月20日改訂重版発行のP73-74に書かれている/ 発行所:株式会社 人文書院)

実存主義とは何か 実存主義はヒューマニズムである  サルトル全集13

実存主義とは何か 実存主義はヒューマニズムである  サルトル全集13

  • 作者:
  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 1955
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


タグ:アミエル
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