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実践 私の実存主義講座 第20回 なぜ日*には伝統行事・伝統芸能が多いのか/ 中途半端な言語 [実存主義]

なぜ日*には伝統行事・伝統芸能が多いのか。

それは日*語が「即自存在」であると共に先史時代専用に造られた筈の開音節言語(音韻面)に加えて、「対自存在」であると共に有史時代専用に造られた閉音節言語

の中国語の「漢字」(視覚面)を足して二で割った様な、即自存在と対自存在の中間に位置した中途半端な言語だからである。

だから、「日*の国には伝統行事が外国よりも沢山ある」ようなことをの賜った今はリタイアーした大物政治家がいたが、ことさら自慢するほどのことでもない。





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日本語はそもそも即自存在(Being-in-itself)且つ先史人用の言語で、言語の無い処に初めてでき、文字を必要としない音韻のみの開音節言語だったのであり、英語・中国語は開音節言語の中からそれぞれ一つが発展的に生まれて来た閉音節言語であって、対自存在(Being-for-itself)且つ有史(歴史)人用で、必ず文字を伴う閉音節言語である客観的証拠(「一円現象」One-Yen-Coin-Phenomenon)を発見した!// 日本はその言語と近代・現代の生活様態との間に大きな乖離が生じてしまった、世界で唯一言語的に発逹障*気味の特殊な国家/特にソフトウエア中のソフトの政治の世界において/だから日本にだけE=mc^2の実証である原爆が一度に二つも落ちた/それ故平和憲法9条(戦争放棄)と96条(改正手続)は変えてはいけない & My EXISTENTIALISMと実存主義         
 
 
 
 
 
 
 

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